消息
※死にネタです。ご注意下さい。グロはありません。













 西武池袋の死はあまりに唐突過ぎた。

 昨夜も西武池袋線の車両点検による遅延が東上にまで波及して口論した。
 西武池袋はいつも通りだった。ふんぞりかえって振替を頼む横柄な仕草も、きつい物言いも。居合わせた有楽町もい
つも通りで、今日は昨日の続きになるはずだった。
 「西武池袋が死んだ。」
 唐突に川越駅にやってきた西武新宿はいつもの青いコートではなく黒いスーツに艶のない黒いネクタイをしていたの
で気づくのに時間がかかった。
 金髪と喪服の組み合わせは別の意味で目立って目を引くのだが、長い前髪を後ろに流し整った顔を日に晒した西武
新宿の青白い肌は現実感がない。
 「本当か?」
 「わざわざお前を探してこんな嘘をつくか。」
 西武新宿が川越駅に来ることは滅多にない。大体の連絡は電話で淡々と済ませるから、西武池袋のようにしょっちゅ
う顔を合わせて口論をするような仲ではなかった。まして冗談を言い合う仲であるはずがない。
 「・・・他の奴らは、なんて。」
 東上はまさか、という思いを捨てられなかった。9割方嘘だと思っている、けれど残りの1割がその話を信じていてバ
クバクと心臓をうるさく鳴らす。
 「これから営団に俺と西武有楽町が行く。JRには昔の馴染みで国分寺が行く手筈になっているし、東武にも後で正式
に挨拶にいくわ。」
 「・・・本線の連中に正式訪問するのに、なんでわざわざ俺にいいに来たんだ。」
 「お前が西武池袋の特別な奴だからだよ。」
 鼻で笑うよう西武新宿はいう。
 「特別って・・・別にそんな・・・」
 もっとたくさん問い詰めるべきことがあるのに、東上はそんなところにひっかかってしまった。
 西武新宿が西武池袋と東上のことを特別な仲だといっても、昔を知っているからおかしくない。 けれど、どこか照れく
さいような嬉しいような、悪くない感情が胸をうずまき、訃報に慌てふためく心臓を不用意に揺らす。
 「どうやって、死んだんだ。」
 誰も鉄道の死を知らない。廃線になったって不老不死の生き物として次の仕事を待っている。なのに、なぜ、西武池
袋だけが。しかも本線であったのに。
 「あいつはなぁ、さらさらって消えてったんだよ。なんの話をしてたっけか、確か他愛もない話をして、少し笑って、それ
で。」
 西武新宿が顔を歪める、そのとき初めて東上は西武新宿の目元が赤くなり泣き疲れしていることに気付いた。当たり
前のことなのに、奇妙な気がする。
 「俺らは金属の塊だったな、長くひとがたで暮らしているうちに忘れてしまっていた。朽ち果てぬものではなかったんだ
よ、東上。」
 西武新宿はじっと東上を見たが、ついに泣くことはなかった。
 西武新宿の潤んだ目元が情事の際の西武池袋をほんのりと思い出させて、やっぱり西武池袋が死んだなんて信じら
れなかった。





 西武池袋の葬儀はしめやかに行われた。
 会社関係者と路線たちが参列し知り合いの多い葬儀であったが、色とりどりな制服を着る路線たちが一様に喪服に
身を包んでいるのは異様な光景であった。
 なにぶん初めてのこと、特別なルールもなく、ごく普通の仏式で行われた。喪主の西武新宿が東上に親族席に座るか
と聞いたが、東上は気持ちだけで十分だと丁重に断った。これから西武を一人でしょってたつ小さな背中はいつもより
さらに小さく見えた。
 誰もが西武池袋の死を信じていなかった。西武が他社を全て呼びつけてこんな狂言をするとは思えなかったが、信じ
てしまったら、自分のことが不安になって恐怖で立ちすくんでしまう。
 それは主催者の西武新宿もよくわかっていたから、どこか落ち着かない空気も納得していたようだった。
 犬猿の仲の連中が大人しく香典を包み、弔辞を頼まれた連中は西武池袋の生前を美化して称える。まるで普通の葬
儀のようなのに、何かが足りない。有楽町が副都心をしかる声も、JRの目がちかちかするような制服も、東急の半袖
も、全部が真っ黒く埋め尽くされている。
 読経が聞こえた、西武池袋の罵声の代わりに。



 「・・・東上、帰ろう。」
 なかなか立ち上がれずにいた東上に越生が声をかけ、参列客の大半が帰った斎場のパイプ椅子から立ち上がらせ
る。
 もうここにも西武池袋はいないのに、相変わらず実感がない。葬儀は死んだ人間のためではなく生きている人間のた
めだというが、それなのに東上にはこの時間が何一つ現実を受け入れるために役立ったと思えなかった。
 ただただ、西武池袋がいない現実への猜疑心が深まるばかりなのに。














 葬儀から何年もたって、もう大半の路線が西武池袋の顔や声をはっきりと思い出せなくなった頃。
 武蔵野線の誕生日に東上は毎年西武池袋の墓参りをした。早朝、西武の誰かにかち合わせぬよう始発前に線香を
あげ手を合わせる。それが、たまたま命日にもいってみようと日を代えてみた。朝日が照りはじめて薄暗いもののほん
のり明るい路地はひんやりと肌寒い。
 ぼんやりと歩いていた東上は副都心に気付くのが遅れ、副都心のにやにやした顔に隠れても遅いと悟った。
 「東上さんも来てたんですね。」
 「・・・・・・」
 「始発前にここに来られるのが自分だけだと思ったら大間違いですよ。」
 副都心が墓に備えたのは場違いな花束だった。刺のある花こそないが、ボリュームがあって高いものだろうと察しが
つく。しかも、東上は同じような花束を目にしたことがある、キザったらしいほどのそれは西武池袋に持たせればよく似
合いそうだった。この花も、西武池袋によくはえただろう。


 二人で並んで池袋駅に向かうのがバカらしかったのだが、副都心を振り払うほどの気力がない東上は人気のない大
通りをとぼとぼと歩く。
 「有楽町先輩もきたらいいのに。」
 「有楽町は来ないのか?」
 「東上さん、ほんと他の人を気にせず墓参りしてたんですね。うらやましいことですよ。」
 副都心の嫌味に納得がいかず、東上は眉をしかめた。鉢合わせぬようこうして早朝を狙っているというのに。
 「それは、みんなが4月15日の早朝をあなたに譲ったからです。僕は誰にあってもいいから命日に行きますけどね。」
 副都心だってこっそりと来ていたのだろうな、とは東上にも想像がついた。気にしないのならば昼休みにでもいけばい
いのに。日中来訪する西武の面々に気を使ったのだろう。
 「有楽町先輩は死んだ人のことを気にかける余裕がないんです。多分、僕が西武池袋さんの墓参りのために早起き
するって聞いたらいい顔しませんよ。口には出さないけど『そんな余裕があるなら仕事に熱意をだせ。』って。」
 それはごもっともだと東上も思った。副都心の仕事ぶりに対する嫌味も、どこか薄情とも言える有楽町の態度も、彼ら
は営団なのだから西武とは違うのだから。
 西武池袋に恋焦がれて仕方なくて、今も忘れられない愚か者だけが墓にまで付きまとっている。
 「もし僕らが老いていけたのなら・・・西武池袋さんが老いてあの美貌を失っていれば、僕はあるときあの人を好きでな
くなっていたかもしれない。約束された死が僕にあればいずれ忘れていけるでしょう。でも、僕らは自分達が何で出来て
いるのかわからない。西武池袋さんだって何で出来ていたのかわからない。」
 「そうだな。」
 西武池袋がいなくなって何度目の春かもうわからない。時折写真を見なければ顔立ちだっておぼろげになってしまう
年月が流れたのに、東上は時折空耳を聞く。
 あの頃のように高笑いをする西武池袋が駅の中にいて、運休したら罵声を浴びせてくるんじゃないかと思って、不謹
慎だけど期待している。