銀座は丸の内が大好きだ。 好きで好きでたまらなくて、銀座は丸の内の行動を逐一チェックしてしまう。携帯電話を覗き見したことはないけれど、 スケジューラーチェックは毎日かかないし、スケジュール管理の苦手な丸の内のためにまるで秘書のようなこともしてい る。だから丸の内の行動で銀座が知らないことはほとんどないのだけれど、心の内まではわからないから不安はつき なかった。 銀座がその不安を消化できずに抱えていたある日、休憩室でのいつもの雑談中の一言で銀座に衝撃が走った。 「丸の内は有楽町のこと結構好きだよねぇ〜。」 半蔵門が他愛もなくいった爆弾発言に、たまたま同席してお茶を飲んでいた日比谷は固まった。もし丸の内と有楽町 の決定的現場を見たって自分ならば墓場までもっていくのに、怖いもの知らずの半蔵門は核弾頭をあっさりと打ち込ん で飄々としているし、銀座はさっきまでの穏やかな空気を彼らしくなくかなぐり捨てて冷気を漂わせている。表情は変わ らないが腹のうちの変化を隠そうともしていないことが日比谷には怖くてたまらない。 さっさと逃げたいのだが、ここで逃げて二人きりにして知らないうちに事態がもっと悪化するのは避けるために、あとで 半蔵門を締め上げようと決心しながらきりきりする胃を抱えながら日比谷はフォローを始めた 「有楽町は丸の内のバイパス路線じゃない。」 あからさまな嫉妬を見せた銀座をなだめるように、かつなんてことないように日比谷はつとめてさらっといった。半蔵門 の言葉に深い意味なんてないことは銀座もわかっている。それに、半蔵門と日比谷に八つ当たりすることは出来ても責 めることはできない。 「銀座。」 半蔵門は何も気にせずお菓子を食べているが、日比谷は銀座を嗜めるように呼んだ。日比谷は銀座がバイパス路 線の半蔵門を他の路線と比べると若干贔屓目に見ていることを知っている。だから半蔵門が銀座をたしなめてくれれ ばいいと思うが、そんなことができる半蔵門など半蔵門じゃないことはわかっているので、比較的年のいっている日比 谷がそんな役回りを演じるはめになる。心の中でため息をつきながら、想像を絶するであろう銀座の嫉妬を少しでも押 さえようとした。 「わかっているよ、日比谷。」 ああ、これは絶対わかってない、と日比谷は思ったけれど、銀座が黙ったまま部屋を出て行ったのでこれ幸いと追い かけず部屋の中でお茶の続きをすることにした。半蔵門は相変わらずでいっそすがすがしい。 「半蔵門、君のせいでメトロに血の雨が降りそうだよ。」 良識派で兄貴肌の東西だったら半蔵門を殴っていただろうが、年のいった日比谷はため息をつくだけで今更半蔵門 の教育をどうこうといったつもりはさらさらないので生ぬるい視線を向けるに留める。当然半蔵門は何も察しない。 「はぁ。ま、僕らには関係のないことだし、いっか。半蔵門、ちょっとお湯入れてきてよ。」 文句をいう半蔵門を無理やり給湯室にいかせ、日比谷は珍しく茶菓子をいくつも食べた。 ばりばりと焼き菓子を噛む音が耳に付き、日比谷は無表情でぼんやりとこれからのことを考える。普段の銀座なら半 蔵門にまわりくどい嫌味を言うだろう、東西ならばストレートに叱るだろう、南北なら二人で調子に乗るかもしれない、け れど日比谷は半蔵門に何も言わず、彼をかばう方法を考える。ぼんやりと、クッキーだけが無駄に減っていった。 仲間が増えたときは素直に嬉しかったものだ。 銀座は自分の性格を重々承知していて、少しもいい人ではないことはわかっていたが、それでも家族同然の後輩達 は可愛かった。他社の路線をどれだけ傷つけたって翌日には忘れてしまうけれど、生まれたての有楽町が初めて転ん で大泣きしてしまったことはよく覚えている。泣き止ませるのは大変だったけど、可愛いと思った。 その有楽町が、いま憎くてたまらず、銀座は意図的に親指の爪を噛んだ。爪は少し伸びていたけれどもうまく噛むこと が出来ず、歯ががちりと合わさる。 「・・・どうしてやろう。」 白雪姫に苛めた上に逃げても追手をつかわせて毒林檎を渡した継母のように、銀座は窓ガラスを見て自分の顔を確 かめた。継母とは違い、老いを知らない彼の横顔は、50年前と何にも変わらず整ったままで、銀座は心から満足した。 それでも、銀座は恋敵に林檎を渡さずにはいられない。つやつやと光った美味しそうな毒林檎を。 有楽町に色目を使う丸の内を泳がせていた銀座は、あるとき決定的な現場に立ち会ってしまう。有楽町に伸ばされた 手が、有楽町は何にも意識していないその右手が何をしようとしているのか、丸の内との付き合いが長い銀座にわか らないはずがない。 「丸の内。」 黙ってみているつもりだったのに、のどの奥からにじみ出た声は自分でも驚くほど低く、初めて聞く声だった。 有楽町がびくっとしたが、それ以上に丸の内が怯えた。銀座はとっさにいつもの笑顔を被って有楽町に笑いかける。 「ごめんね、有楽町。丸の内に用事があって・・・」 有楽町は自分に用事ではないと知ってあからさまにほっとした顔を見せた。 「そうか、じゃあ、俺は新木場のほうにいかなきゃいけないから、またな。」 今すぐにでも逃げ出したいといった体で遠くなる有楽町の後姿を見送りながら、銀座はゆっくりと丸の内のほうに体を 向けた。 「ちょっと、事務所行こうか。」 その事務所は丸の内がメインで使っているところなのに、連れて行かれるのが怖くて足がすくんで丸の内は泣く寸前 の顔をした。それも、銀座にはとても気に入らない。大好きなのに。 事務所に入ってドアを閉めた途端、銀座は勢い良く丸の内の頬を叩いた。高い音が響くが、丸の内は抵抗を見せな い。何度も叩かれて、それでも丸の内は一切抵抗しない。 「ごめんなさい、ごめんなさい・・・」 「どうして欲しいの?」 「どこにもいかないで、銀座がいなくなっちゃったら俺ッ・・・!」 銀座の足にすがり付く丸の内に銀座は心から満足した。これでもしも『有楽町には何もしないでくれ』なんて言おうもの なら有楽町に何をしたかわからない、とりあえず他人が見て絶句するような凶事を尽くしただろう。だが丸の内が銀座 を最優先したいま、銀座は有楽町のことを忘れてしまったかのように憎しみを手放した。 (ほうらね、バイパスといったって僕らの仲には叶わないんだよ。) 銀座は半蔵門が可愛い。けれど丸の内には遠く及ばない。半蔵門も好きな人がいるので、まるで親子のような関係 だ。それだけに、二人の関係に虫唾が走る。 「ねぇ、丸の内。僕のことを一番にするなら有楽町は他の人に譲れるよね?」 銀座はなんだって知っている。丸の内が有楽町に恋心を抱いたように、有楽町が西武池袋に淡い恋心を抱き始めて いることも。 「発情期の駄犬ではないと、誠意を見せてくれないかな。」 銀座は冷たく言い放つ。丸の内は黙って頷くしかなかった。 池袋駅の喫茶店で丸の内と西武池袋は外から良く見える窓際の席でコーヒー片手に談笑していた。今日は西武池袋 の機嫌がよく饒舌に話し、丸の内は普段と比較すると言葉少なだった。 「貴様、あんな恐ろしいものに愛されながらよくそんなことができるな。」 西武池袋は丸の内と話をするとき、二人っきりの状況になることを避けた。西武の休憩室で打ち合わせをするなども ってのほかで、メトロもしくは国鉄の他路線が同席する場合以外は社内の会議室は使わず、なるべくオープンな喫茶店 を選ぶようにしていた。それくらい西武池袋ですら丸の内に気を使った。丸の内に狂乱の愛を費やす銀座の心に気を 使ったというべきか。西武池袋は銀座のお高く留まった薄皮一枚の下に異常な愛欲と執着があることがむしろ好まし く、面倒だがこのままでいいと思う。 「できなかったよ。」 丸の内が真剣な様子などめったに見られたものではないから、西武池袋はあからさまに愉悦に顔を歪めて眺めた。 「ならば私があっちを貰おう。そういうことだろう?それとも、銀座を誘おうか?」 西武池袋が誘ったところで銀座が誘いに乗るとは思えなかったけれど、丸の内は銀座を誘われるのは嫌だった。丸 の内だって人並みに独占欲はある。銀座と有楽町を天秤にかければ銀座を迷いなくとれるのが丸の内という男なの だ。 「幸せにしてあげてくれ。」 「そういうところが公営根性なのだ。なにごとも自らの腕で奪い取らなければならんと幼少期から教え込まれないから だ。自分の食い扶持も幸せも、欲しけりゃ欲しいなりのことをするんだな。」 「そうだね、西武池袋だったら、俺みたいな悩み事はなかったのかも。」 「貴様のように贅沢な悩みは無いな。」 コーヒーをすすりつつ、西武池袋は常に周囲に注意を張り巡らす。あの冷たく暗い目がじっと自分と丸の内を見てい たときのことを忘れられない。以来、西武池袋は銀座の視線が気になってなるべく死角の少ない席を選ぶようになっ た。 「しかし、有楽町も可哀そうに。何も知らずに愛されて、何も知らずに他人に譲られる。」 西武池袋は営団の連中の動きが奇妙で仕方なかった。全て自分でやればいいことなのに、まどろっこしく他人を動か して思うように事態を進めていく。銀座の考えが読めないのはいつものことだが、丸の内も相当奇妙だ。 「ま、とにかく私が有楽町を誘って落とせばいいんだろう。」 「お前は有楽町が好きなのか?」 西武池袋ははにかむように笑い、腹の底を全く見せない。 実のところ、西武池袋は別に有楽町のことを好きでもなんでもない。今恋人はいないし有楽町のことを嫌いではない から、銀座に大きな貸しを作ってやるためにちょっとくらい遊んでみるのも悪くはないかと思った程度のことだ。 丸の内にも有楽町にもとても失礼な自分の心のうちがおかしくて、おかしくて、西武池袋は含み笑いをする。 東京メトロの内輪もめに一枚噛めたことも楽しい。こんなおかしい話ならあとで東上にも教えてやらなければ、なんて 井戸端会議の大好きなおばさんのようなことを考える。東上は有楽町に嫉妬するだろうが、そんなことは西武池袋の知 ったことではない。ついでに副都心に教えてやったっていい。 有楽町と西武池袋が付き合っているという話が広まれば広まるほど優しい有楽町は別れ難くなるし、それは銀座の 願いどおりなのだから悪いことなんてなにひとつない。 「せっかくだから、有楽町と寝るときは電話をかけておいてやろうか?ああでもそれでは仕草まで伝わらないな。録画 しておこうか」 「頼むから、有楽町のことを忘れさせてくれ。」 「全く、営団の連中は愉快だ。」 西武池袋はレシートを持つと席を立った。 「うまいようにやってやる。お前が銀座様から愛想をつかされないようにな。」 青いコートをひるがえす西武池袋の後姿は細い腰が目立ってにおい立つような色香がある。それに全く何も感じない かといわれると否定しきれない丸の内だが、複雑すぎる胸中はそのコートすら色あせて見せた。 西武池袋が有楽町をいいように扱うのは簡単だった。西武池袋は女も男も知らない初心な有楽町を騙して愛を囁くこ とに少々申し訳なさを感じ、初心な有楽町の愛情を少々面倒くさく感じた。 それでも西武池袋は有楽町が明日の夜にはまた会いたくなるように優しく囁き、有楽町がみたこともない西武池袋の 姿を見せ、経験したことのない快感を覚えさせた。 (攻略が簡単すぎてつまらない。・・・まぁ、有楽町はこんなところか。) すやすやと有楽町が眠るベッドを抜け出した西武池袋はビールを取り出し栓抜きで開けてからコップにそそいだ。窓 なんてない池袋のラブホのソファに深々とすわり、テレビをつけるでもなくぼんやりと布団にくるまって眠る有楽町を薄 暗い部屋で眺める。 「面白いよなぁ、有楽町。この愛憎の舞台の中心に貴様はいるのに、なぁんにも知らずに売買されよって。」 当然有楽町は聞いていない。それでも西武池袋は気分上々にビールを開けていく。くらくらとふわふわしだす頭を幸 せに揺らした。 内線が鳴っているので銀座は受付からだと確認してから受話器を取った。 「はい、銀座です。・・・そう、いいよ、応接間にお通しして。お茶を持ってくるときにお菓子もつけてね。」 受話器を置き、ジャケットを掴むと羽織って部屋を出る。普段ならばアポなしの面会者など対応しないのだが、今回の 最大の功労者とあっては会わずにいられない。 銀座ははやる足を抑えて応接間に向かった。 「お待たせ、西武池袋。」 「急に来てわるいな。」 「いいよ、今回は特別。まぁ座ってよ。」 銀座が部屋に入ったとき立ち上がった西武池袋に椅子をすすめ、銀座もソファに深く腰掛ける。 「いろいろとありがとう。」 「貸しひとつな。」 「ひとつといわず、君と有楽町がうまく言っている間は融通をはかるよ。」 破格の謝礼に西武池袋はあまりいい顔をしない。うまい話に警戒するのは古い路線の悪い癖だな、と銀座は思う。銀 座はただただ嬉しくて、それ以外に喜びと感謝を示す方法がないだけだというのに。 「なぁ、ぎん・・・」 「失礼いたします。」 お盆にお茶とお菓子を載せた秘書がはいってきたので西武池袋は会話を控えた。手際よく並べた彼女が部屋を出て から西武池袋は再び話の続きをしようと思ったが、タイミングを逃してしまい黙り込む。 「どうぞ、召し上がって。」 デパ地下に入ってる有名店の洋菓子を手にとって一つ食べた。紅茶がでる会社は珍しいが、銀座の雰囲気にはあっ ていて西武池袋はなんとなく納得した。コーヒーよりも緑茶よりも確かに紅茶のほうがお菓子にもあっている。 「ねぇ、西武池袋。君は性戯に長けていたよねぇ。」 「・・・まあ、他の路線よりは。」 「有楽町のこと、いついつまでもしっかりと捕まえていてね。」 「はっ。貴様も丸の内に飽きられぬよう鍛えるんだな、寄る年波に負けぬように。」 「・・・君よりずっと若いんだけどなぁ。」 「戦後生まれから見れば大して変わらんよ。」 「そうだね。あ、もう一つ食べない?こっちも美味しいよ、お勧め。」 「ならもらおうかな。それで丸の内とは最近どうなのだ?」 「いつも通りラブラブだよ。」 「それはお盛んなことで。」 西武池袋は銀座ほどでないにしても丸の内を池袋駅で見かけるから、実際のところ丸の内が落ち込んでいるのを知 っていた。表情をくるくる変えたあと、ため息をつく。西武池袋をみかければ、なんともいえない微妙な顔で手を振った。 感謝と嫉妬が入り混じった、恨みがましい微笑に西武池袋はへどが出そうになる。 でも、それすらも楽しい、生の感情は生きている実感がするし、恋愛なんてなんだかわかわかしい気がするのだ。 「生きているってことは楽しいな、銀座。」 銀座は笑い出すのをこらえる顔をして、それから全く同感だね、と応えた。 「仕事ばかりじゃつまらないものね。」 「お互い、安寧に幸福を見出せん類か。業の深いことで。」 「仕事のほうは何にもないのが一番だけど。」 「それはその通りだな。」 西武池袋はだいぶぬるくなった紅茶を飲み干した。 「馳走になった。そろそろ帰る。」 「え、もう帰るの?もっとお話していかない?」 「急に来たのだ、貴様も仕事があろう。それに、私の用事はもういいんだ。」 「そう?また来てね。西武池袋だったらいつでも歓迎するよ。」 「私の方もいつでも歓迎するぞ。」 嫌味のつもりで西武池袋がいってみれば、銀座は目を輝かせた。 「本当!?今度いっちゃおうかなぁ!」 「本気か?貴様が見るようなものは何もないぞ。」 「いいんだよ、君と有楽町が仲良くしているところを見られれば。」 そういうことか、と納得した西武池袋はそれならば有楽町がいるときに来ればいいと誘った。銀座は喜びを顔一杯に 広げている。 「池袋駅での丸の内の仕事っぷりもみたいし、副都心もね。そういえば池袋はイケメン率が高いね。」 「それはずいぶんと手前味噌な話で。」 「君と、君のところの若い子も相当美人じゃない。」 「どうも。西武秩父にも銀座様からお褒めの言葉を頂いたと伝えておく。」 食えない二人は見つめあい、社交儀礼に軽く会釈した。 「ねぇ、西武池袋。本当に有楽町をよろしくね。もし有楽町を捕まえておけなかったときは、君にも酷いことしちゃうか も。」 さらさらの髪をひるがえしながら立ち去ろうとしていた西武池袋の背筋に冷たいものが走ったが、年上の余裕としてた だ軽く笑って返した。 一人になって、西武池袋はおかしくておかしくてたまらず、人の多い通りでひとしきり笑った。 「あーっは、は、はっ!なんだあいつら!」 どこか自分を見下げつつ、西武池袋はこの奇妙な舞台をどこまでも冷めた目でみていた。自分も含めて、どこまでも 愚かだと心の底から馬鹿にしつつ。 |