出勤簿をチェックしていた拝島が「あ」と声を上げた。 「何かあったか?」 「西武池袋さぁ、こないだの休日出勤の振替休日とってないよ。」 「む?そうか?」 「うん。もう月末近いから明日あたり取っちゃってよ。」 「明日!?無理に決まっているだろう、仕事がある。」 「その仕事を無理なく続けるための休みでしょう。いいから休みなよ、代わりに仕事やっとくから。」 「しかし・・・」 「じゃあ、今日残業してやっておいて。」 「う」 「よろしくね。僕らが休まないと社員が休みにくくなるんだから。」 「む・・・」 拝島に押しきられる形で休みをもらった西武池袋は否応もなく休むための仕事を始めた。休むために残業するくらい なら休まなければいいのにと思うが拝島の正論に抗うことはできず、もくもくとパソコンを叩き続け、急ぎの書類に印鑑 をもらうべく池袋駅へ移動し方々を回ったりして午後を過ごした。 ようやく仕事が一段落したとき、日付はすでに0時を回っていた。ぐっと腕を伸ばして体をほぐすと、滞っていた血流が 一気に回って爽快な感じが一瞬だけする。 明日の休みを満喫しよう!と思い立つが特にやりたいこともなく、急だから予定もない。こんな時間からでは酒を飲ん でも、DVDを借りてみても、明日に疲れが残るばかりなことがわかっているので気が乗らず、仕方なくコンビニで夕飯を 買って池袋のマンションに帰った。 何にも食べたくないけど何か食べたくなったときに何もないと辛いからと買ったものは、カップラーメンとからあげ弁当 とシャケおにぎりとプリン二個とポテトチップスとバニラアイスとペットボトルのお茶と缶コーヒーとビールのロング缶二 本、それに暇潰しをしたくなったときのための週刊誌一冊。 繁華街の深夜のコンビニは意味もなく楽しげな空気が充満していて、疲労困憊の西武池袋をイライラさせる。うわつ いたカップルがどっちがい〜ぃ?なんてプリン2つを比べて悩んでいたものだから、西武池袋は横からその2つを買っ た。うち1つはラストの商品だったが、悩まなくて済むようになって良かったじゃないか、と西武池袋は思った。西武池袋 には2つのものを比較して、価値を見積もり、選択の決断を下す気力がもう残っていない。財布に万券があるのを幸い と金で選択を放棄した。 ずっしりと重くなったコンビニ袋をぶら下げて西武池袋は一人のマンションについた。荷物を一旦床に下ろし鍵を開け れば、西武池袋しか使用しない部屋が家主を受け入れる。 西武池袋お気に入りの青を基調としたインテリアに囲まれると、ほどよい狭さと相まってひどく落ち着いた。とりあえず 買ったものを冷蔵庫に突っ込む。 ソファに座り込んで天井の電気を眺めながら、西武池袋はやり残してきた仕事のことを考えた。山のように残っている 事務仕事はいつになったらおわるのか全く予想もつかない。毎日こなしても仕事は終わらない。異動も定年もなくても、 業務は変わるし仕事量は増えていく。休みをもらったところで仕事は西武池袋を焦らせて追い詰める。新しい上司との 折り合いだとか、新入社員が使えるとか使えないとか、経験が長いから気になる点も増えていって、昔なら許せたことも 許せなくなっていたりする。 今日はとにかく寝て仕事を忘れたいと、結局何も口にしないまま西武池袋はベッドで丸まった。なかなかこない眠りの とばりを待つ間、西武池袋は仕事のことをぐるぐるととめどなく考えた。そこには西武の路線も営団の路線もみんなでて きたけれど、何一つ楽しい気持ちにはなれなかった。 翌朝、目覚めた西武池袋はまず仕事のことを思い出して落ち着かない気持ちになった。それを振り払うように冷蔵庫 のペットボトルのお茶をガブガブと飲む。それからテレビの電源をいれ、朝のニュースを見ながらしゃけおにぎりとプリ ンを一個食べた。テレビではインスタントのミネストローネの紹介をしていて、なんとなく食べたくなった西武池袋は冷蔵 庫の中にある食品を無視して財布を握りしめてスーパーに走った。 トマトと玉ねぎとにんじんとじゃがいもとセロリとベーコンとコンソメスープの素なんかをおもいつくままに適当に買い込 み、それからパン屋で食パンをかった。 すぐさまマンションに戻ると西武池袋は作った経験のないミネストローネを本も見ずにいきなり作り始めた。野菜とベ ーコンをみんな角切りにして鍋に突っ込んで、コンソメスープの素をいれてことことと煮続ける。木べらでしばらくかき回 せば火が通りいい匂いがしてきた。味見してから塩コショウを足したところ、ちょっとイメージと違うが美味しいスープが できあがった。 それでも西武池袋はスープを木べらでかき混ぜ続ける。スープが煮詰まって野菜が溶けていく様を美しいと思った。と ろみのあるスープに変貌をとげていく水を見つめていると無心になれることを発見しつ西武池袋は小さなポーズで感動 を表現した。スープがどろどろになるとき、自分の気持ちも一緒にスープに溶けていくような気がしてならなかった。ぐる ぐると鍋を回せば嫌な気持ちもくるくると吸い込まれて消えていく。 昼ごはんにはスープとトーストを食べた。普段家で作るものより手のかからない簡単な食事だったが、西武池袋の中 の言葉にできない諸々が煮詰まっていた。 夕方、特に意味もなくテレビを見ていると有楽町から着信があった。 「なんの用だ。」 『あ、西武池袋?お疲れさま。今日休みだったんだって?いってくれたら調整できたのに。』 西武池袋が今日休みだと知りつつ使う「お疲れさま」に悪意や嫌味は全く感じない。恒例の挨拶を何気なく使っている とわかっているから、「疲れていないが。」と返すほど西武池袋は有楽町に対し意地悪ではない。 ただ、この男とも仕事が大前提での付き合いなのだと突きつけられた気がした。あり得ないけども例えば西武池袋が 全く鉄道と関係のない仕事に転職したら、二人を繋ぐ糸は次第にほぐれて細くなって、しまいには切れてしまうのだろ う。その想像は西武池袋をたまらなく寂しくさせた。 「まぁ、今日は仕事を忘れて一人のんびりしてるよ。」 『それじゃあ、今日仕事終わったら会いにいってもいいかな?』 夕日の差し込む部屋の色は物寂しく侘しい。勤務中にみる夕日はラッシュアワーに向けての合図で気合いが入った が、とりとめなく眺める部屋の夕日は世界から切り離されて一人隔離されてしまったようでたまらない。 (しかし今日は休みだ。仕事に関わらぬ1日を過ごさねばならない。) 西武池袋の脳裏には明日からやらなければならない業務が渦巻いている。楽しくもない休みの1日の有楽町と過ご すのははばかられた。恋人に会いたくないわけではないが、説明できない疲弊が西武池袋をためらわせる。 「今日は…疲れたから。」 『そうか、じゃあ仕事が終わったら電話してもいい?』 「あぁ。」 有楽町は西武池袋の扱いに慣れている。休みの日の疲れという不可解な話にもデートの拒絶も理屈を知っているの で浮気を疑いはしない。 『そろそろ仕事に戻らなきゃ。またね。』 「うむ。」 電話を切ってしまえば、西武池袋はまた一人ぼっちになった。今日やるべきことは有楽町からかかってくる夜の電話 を待つだけなのだ。ベッドで丸くなって目を閉じて、西武池袋は明日を思った。 目が覚めなければ明日を迎えずに済むのに、と声に出してはいけない願いを心のなかで小さく祈った。 (2011.9.29 タイトルはユーミンのチャイニーズスープの歌詞から引用です。) |