秘密の花嫁
京浜東北→埼京






 あるとき、ふとしたことから「最近、埼京にオトコができたんだってなあ。どうなのよ、管理者としては。」と武蔵野が噂
話大好きそうな顔で聞いてきて、京浜東北は頭が真っ白になった。
 「埼京に?」
 声が震えているのが伝わらないか不安だったが、武蔵野は京浜東北の様子を深く見ずに、仕入れたばかりの噂話を
披露するのに夢中になった。
 「京浜東北しらねえの?ほら、埼京が気に入って直通開始したりんかい線っているじゃん。キザったらしいなに考えて
るのかわからん奴でさ〜。」
 「・・・そう。でもま、業務に支障がない限りいいんじゃない。ケンカして直通切るとか言い出さなければ問題ないよ。」
 「まー、管理職らしいお言葉で。」
 「武蔵野、さっきから管理職管理職ってうるさいよ。別に僕に君らを管理する責任も義務も権限もないんだから。」
 「へいへい。ま、最近の埼京はオトコの話つっつくと長くなるから気をつけとけよ。じゃあ俺新木場でそのりんかいとか
と打ち合わせあるからいってくるわ。」
 「・・・珍しいね、君が打ち合わせに真面目にいくなんて。」
 京浜東北は素でびっくりして目を丸くした。
 「ああ、雀荘集合だからな☆」
 「ああそう・・・って、武蔵野!」
 「わりい!今日の俺は勝てるんだ!めざましの占いで一位だったから逃すわけにはいかん!」
 いつもあれぐらいきびきびしていれば!と感嘆したい動きで武蔵野は颯爽と去っていった。そこには、埼京に彼氏が
出来た衝撃を受け止めきれていない京浜東北がいつもの仏頂面で一人残されていた。

 普段は立ち入り禁止になっている駅ビルの屋上にもぐりこむ。壁の陰にいけば近隣のビルから見えないと気付いた
のはもう何年も前だった。缶コーヒー片手にぼんやりと雲の流れを見送る。同じ空がもうないように時間もながれていた
んだね、どこかの陳腐な歌詞にありそうなことを考えて自分に苦笑した。
 「おーい、なにたそがれてんの?」
 「ああ、常磐か。別に、会議終わったし休憩してるだけだよ。」
 「お堅い京浜東北が立ち入り禁止の屋上でぇ?」
 「別にいいだろ。君はなんでここにきたの。」
 「オレ?あーこれこれ。」
 内ポケットから潰れたタバコ箱を取り出し、一本とって火をつけた。
 「風がつええ。火つきにくっ。」
 「こんなとこで吸わなきゃいいじゃないか。」
 「今は喫煙所少ないだろ。めんどくさいんだよ。はー、会議中我慢してたからうまいわー。」
 吐き出された煙が風向きの関係で京浜東北にかかったが、常磐は一切気にしていなかった。
 「そういやさ、さっき聞いたんだけど埼京のバカに男ができたって?あれもうぶそうな顔してやるこたやってんだなぁ。」
 常磐は武蔵野と違って明らかに京浜東北に対して興味がある顔を向けてた。
 「個人的な問題だから、僕らがとやかくいうものではないだろう。」
 「そりゃ、オレは関係ないよ?でも、京浜東北はねぇ?あんな大事に手塩にかけて育てたのにねぇ。」
 「確かに開業前の埼京の面倒を見ていたのは僕だけどね。それだって誰もやらないからやり始めたんだ。小さい埼京
を育てるのはやってみたら楽しかったけど。」
 「なんかやーらしー。しっかし、オレはてっきり自分の嫁にでもするつもりで育ててんのかと思ってたんだけど、実際の
ところどうなのよ?」
 「そんなことあるはずないだろう。」
 胸の中に渦巻く不快感は、娘に彼氏が出来た父親と同じだ。ずっと面倒をかけられてずっと面倒をみてきたからきに
なるだけなんだ、そう京浜東北は自分に言い聞かせた。
 「下心なけりゃあんな面倒みれないだろー。なぁなぁ、どうなのよ?」
 なおも食い下がる常磐に腹のうちを読まれないよう京浜東北は最大の警戒を払った。自分でも掴みかねる感情を、
関東で1・2を争うほど厄介な性格のヤンキーに知られたくはない。
 「あるわけないだろう。あったらとっくに手をつけてる。」
 「・・・それもそうか。」
 ヤンキー常磐にとって納得しやすい理由だったのだろう。タバコ一本吸い終わると京浜東北よりも先に屋上を出て行
った。
 「まー埼京おめでとう!ってことで楽しいお店いこーぜー。俺らで。」
 「それ埼京関係ないじゃない。」
 「京浜東北残念会でもいーぜ?」
 まだ諦めてなかったか!と空き缶を投げるふりをすると、「おっかねーなぁ!」とかいいながら常磐は今度こそ本当に
屋上を出た。階段を下りる音がしばらくして、それすらもう聞こえなくなった。それから、京浜東北はまた空の雲に視線
を戻した。


 京浜東北はまだ埼京が開業前で小さかった頃、埼京はよくこんなことをいっていた。
 『埼京ね、大きくなったら京浜東北のお嫁さんになるの。』
 そういうときの埼京が可愛くて、可愛くて、親ばかに片足入れそうになっていた京浜東北はそのたびにぎゅっと抱きし
めていた覚えがある。二人には実現不可能な話ではなかった。京浜東北が埼京の成長を待ち、外の世界を知る前に
自分のものにしてしまえばよかったのに、ためらった京浜東北は後手にまわってしまった。
その頃の埼京は毎日京浜東北にいってらっしゃいとおかえりなさいのキスをしていた。
 「なに、ファーストキスは僕だからね。」
 開業後の埼京はお嫁さんになるといったことも、毎日キスしていたことも全く覚えていなかったけども。
目頭に浮かぶ熱いものは、度の合わなくなったメガネで目が疲れたせいだろうと誤魔化して、京浜東北は手の甲で涙
をぬぐった。
































(2011.10.15)