たまたま昼前に池袋駅で顔を合わせた西武池袋と副都心は珍しく二人連れ立って昼食に行くことにした。
「何にします?」
「焼肉。」
「え?昼からですか?」
「昼だからだ、がっつり食うぞ。」
「西武池袋さんって、そういうタイプでしたっけ?」
ふん、と西武池袋は不服そうに鼻を鳴らした。
「普段、昼食は食わん。」
「え?そうなんですか?」
「メシくう時間を削れば、その分仕事が出来るからな。それに太らない。一石二鳥じゃないか!」
「何ですかそれ。普段は人に健康管理がどうこう言ってくるくせに。」
「私の健康管理はできている。何十年もこのペースだから、もうこの生活の方が楽なんだよ。」
「なんだか半蔵門さんの言い訳みたいですけどね。とおころで、何で今日は昼食をとるんです?」
大股で歩いていた西武池袋の歩みが少しだけゆるんだ。副都心は最初それに気付かず、数歩先に行ってしまった。
「腹が減ったんだよ。」
苦虫を噛み潰したように呟く西武池袋の言葉の重みに気付かず、副都心は軽いのりで受け止めてそのまま返す。
「やっぱりお腹すくんじゃないですかー。あ、西武池袋さん、僕後輩なんでおごってくださいね。」
いつも通り、「なんで私が営団なんぞに恵んでやらねばならんのだ!」と怒られるかと思いつつ、軽口を叩かずにはい
られない副都心が投げたあつくかましいおねだりを、西武池袋はあっさりと受け止めた。
「そのつもりだ。」
「へ?」
「貴様、食べる量は人並みだろう?だったら、今日くらいはおごってやる。」
なんだか今日は調子が狂うなあ、なんて副都心が表に出さずに困っているうちに、西武池袋が好きだという焼肉屋に
ついた。
「ランチやってるんですね。何にしようかなぁ。」
折角おごってもらうんだから高いのにしようかな、なんて副都心がメニューを見ながらほくそえむ横で、西武池袋が店
員を呼んだ。
「ちょっと早いですよ!僕まだ決めてないんですけど。」
「とりあえず頼むからいいんだ。貴様は後でゆっくりメニューを見てから追加注文しろ。えーと、特選カルビ4人前、ハ
ラミ4人前、タン塩3人前、ソーセージ、ミノを2人前ずつ。それに豚カルビも4人前。あとは、海鮮チヂミとユッケジャン
スープとねぎサラダとご飯大盛・・・貴様もいるな、ごはん大盛2つ。ウーロン茶2つ。とりあえず、以上で。」
流れるような西武池袋の注文を、副都心は口をあんぐり開けてみていた。二人では十分すぎる寮に、店員は副都心
が注文しないことに何も違和感を持たず、復唱して厨房へ戻っていった。
「うーん、〆は石焼ビビンバかなぁ。おい、すきな物頼めよ。今頼んだものを食べてもいいが、すぐなくなるからな。」
「・・・・・・何いってんすか、西武池袋さん。すっげー量でしたよ・・・・・・。食べてから追加注文考えましょうよ。あ、そうだ、
食べながら聞いちゃいたいんですけど、5社乗り入れの件で。」
無駄な時間を好まない西武池袋のために気を使って副都心は仕事の話を振ったのだが、小皿にタレを注いでいた西
武池袋は不満そうに副都心を睨んだ。
「今は仕事の話をするな。」
不断らしくない西武池袋に、副都心はますます戸惑う。仕事以外の話をしては仕事の話をしにきたんじゃないのか!
と怒られることばかりだったから、もう何がなんだかわからない。
「馬鹿みたいに食うときは、馬鹿にならなきゃならない。薀蓄が似合う料理もあるが、焼肉は肉!だから、副都心。い
つものように下らない話をしろ。そしてできれば面白いことを言え。」
副都心の頭はぐるぐるしている。目の前にいる人は自分が知っている西武池袋じゃないのではないのかしら?なんて
台詞まで浮かんでくる始末で。面白い話だったらこの前南北に話したとっておきの有楽町ネタがあるのだけれども、今
はうまく話せる自信がない。いや、何が面白いと受け取られるのか、一寸想像がつかない。
「ああ、腹が減った・・・・・・。」
副都心の困惑など一切気にせず、西武池袋は暑くなってきた鉄板を見ながらぼやいた。
「もうちょっとできますよ。」
びっくりするほど当たり障りのない返事を副都心は返す。
「腹が減って減ってどうしようもないときに嗅ぐ肉のにおい、これ以上のスパイスはないな。」
さっきからちょっとおかしいですよあなた、ってきくかきこまいか、少し間をとったすきに、店員が生肉の乗ったお皿を
テーブルへ並べ始める。西武池袋は自分でトングを取って焼き始め、それから思い出したように「ホルモンタレで3人
前。」と追加注文をした。
西武池袋がどんどん肉を焼き、自分の手元に2、副都心に1くらいのペースで置いていく。まだまだ若い副都心にとっ
て焼肉は大好物なのだが、御年100歳を超える西武池袋が自分の倍以上の速さで食べていく様子は鬼気迫るものが
あって怖い。最初こそ嬉しそうに食べていた西武池袋だが、途中から無感情に食べている。石焼ビビンバを頼むがい
るか?ときかれたときには、副都心の腹はもうはちきれんばかりに膨れていて、とてもシメの一品を食べるどころでは
なかった。
「ってゆーか西武池袋さん、昼休憩終わりません?大丈夫ですか?僕は先輩に怒られちゃいますよ。」
「私は問題ないがな・・・・・・。有楽町には私から連絡しておいてやろう。」
そういうと西武池袋はお箸を置き、携帯で電話をかけ始めた。有楽町だとわかっているけれども、副都心は自分から
かけるとは言わなかった。
西武池袋からかけてもらった方が先輩が納得するだろうというのもあるし、満腹すぎておっくうだというのもある。
「おい、私だ。今副都心と一緒にいるんだが・・・・・・ああ、そうだ。うん、うん。そうか、わかった。しばらく借りるな。な
に、取って食うわけじゃないちゃんと返すさ。それじゃあな。」
上機嫌で電話を切った西武池袋は、「これで大丈夫だ。」というと、また肉との格闘を始めた。
「西武池袋さんすごいえすねー・・・・・・。僕はもう肉の焼ける匂いで辛くなりそうです。」
「いい若い者が情けない。」
「シャーベット頼んでいいですか?」
「アイスが食べたいのか?なら、この後デザートを食べに行こう。この間見つけたんだが、クリームたっぷりのパンケ
ーキがうまそうでな。」
「この上まだパンケーキ食うつもりですかあんたは!」
あーもういいですと西武池袋を無視してゆずシャーベットを頼み、冷たいお茶を飲みながら副都心はギブアップした。
「なんでそんなに無理して食べるんですか?」
なんとなく湯飲みをいじり倒しながら副都心は西武池袋に聞いた。
「別に無理して食べているわけじゃない。普段は食事の量を制限しているから、たまに好きなだけ食べるってだけ
だ。」
「食事療法のおじいちゃんみたいですね。まぁ、あなたはおじいちゃんですけど。ダイエットですか?」
「太らないように気をつけてるってところもあるけれど、大事なところは違う。」
石焼ビビンバを食べ終えた西武池袋は紙ナプキンで口元を押さえ、それからウーロン茶を飲んだ。
「普段は空腹でいたいんだよ。これが難しいんだけど、空腹って慣れるんだ。だから、もっともっとと食べなくなってな。
こうしてたまには満腹を味わってる。」
「はぁ・・・・・・全く意味わかんないんですけど。」
「わかる必要はない。ただ、私は毎日満たされて生きるのが恐ろしいだけなんだ。空腹は一番簡単にできる危機的状
況ってだけで。」
私もアイス食べようかな、とメニューをめくる西武池袋の肌は焼肉のおかげか、いつもよりつやつやしているように見
えた。
副都心がパンケーキを必死に止めたので、西武池袋もシャーベットを食べて今日の昼食を終えた。
「あー、よく食べたなぁ。午後から腹ごなしに車両整備してくるかな!」
「元気ですねー・・・・・・僕はちょっと胃薬飲んで横になります・・・・・・。」
「なんだ?よわっちいな。それでも鉄道か。」
「平成も20年過ぎてから生まれてますからね。大正男と一緒にされても困りますよ。それでは、失礼します。」
おなかを抱えるようにして立ち去る副都心の後姿に、西武池袋は滅多に見せぬ太陽のような笑顔を向けた。
「また食事に行こうな、副都心!」
もうころごりですよ、と返事する気力さえ、副都心にはなかった。
ああ、早く胃薬を飲みたい・・・・・・と戻ったメトロの事務所には有楽町がいた。
「おかえり、副都心。災難だったね。」
胃薬と水の入ったコップが既にテーブルに置いてあり、有楽町は全てを承知の様子であった。
「・・・・・・大災難でした。」
いつもの苦笑いをしながら、有楽町は副都心にコップと薬を渡す。
「あの人、どっかおかしいんですか?」
「おかしいっちゃ、全部おかしいよ。」
「そういうことじゃなくってですねぇ。っていうか先輩、わかってたんですね。」
「ああ、西武池袋からお前とメシ食うって電話あったからなぁ。俺も何度か同伴したからわかるんだよ。目の前の奴が
くってると、つい食いすぎるんだよなあ。」
有楽町はお湯を沸かし、お茶の準備を始める。副都心の状況を本当によくわかっているようだった。
「次は三人で行こうか。お互いに西武池袋から誘われたら声を掛け合うようにしよう。」
「断られませんか?」
「断られないと思うよ。俺らは昼食代が浮くしね。」
温かい湯気の立つ湯飲みが有楽町と副都心の前にそれぞれ並べられる。
「西武池袋は可哀そうな人なんだよ。」
有楽町の同情が副都心には理解できない。
「ただの電波でしょう。」
「可哀そうな電波がいたっていいだろう?」
「妙に西武池袋さんの肩持ちますね、先輩。」
「そうだね・・・・・・。」
それから、たっぷりの間が開いた。
「どれほど絶食したって、俺らに悟りは来ないと思うんだけどね。」
呆れたような呟きが、副都心にもはっきりと聞こえた。
望みを願い続ける愚かさも、諦めた振りで愚直を見下す浅ましさも、どちらも欲しくはないと、咽喉元まで詰まった食
事でぱんぱんになり機能が低下した脳みそで、幼い副都心は思った
(2013.7.16)