喪服
西武池袋のみ女体化です。
『私は行ってはいけないのだな。』
それは静粛なお葬式の朝。
まだ少し寒い、からりと晴れた春の日。
西武池袋は、綺麗だった。
さんさんとあたたかい日差しが差す小春日和の縁側で、西武池袋は自分の腹をさすった。
「生理はあるのに何故孕めないのだろう。」
西武池袋の言葉を西武新宿は無視した。
「電車だからか?確かに子を産んだ電車など聞いたこともないしなぁ…しかし、世界は広い、海外には一人くらいいる
んではないのか?」
読んでいた本にしおりを挟んで、西武新宿は言葉を返した。
「もし生まれたとしてもそれは人間の子供ではないでしょ。」
西武池袋は西武新宿がしゃべったことに面食らって(一方的に嫌な話をしている自覚はあったのだ)、それからそれも
そうか、といった。
「俺も、池袋があの方の子を産めるものなら産んで欲しいよ。俺らであの方の子を育てる――なんてステキな話だろう
ね。」
わざとはき捨てるように西武新宿は言った。そんな夢のような事態はやってこないのだ。
西武線の中で唯一女性体をしている西武池袋にお手がついたとき、皆で喜んだ。お祝いまでして、子供ができないか
な、なんてはしゃいでいた。でも、何度閨に呼ばれても西武池袋が孕むことはなかった。そこを、あの人は気に入ってい
たようでもあるけれど。
「いいじゃない、声をかけていただいただけでも有難いと思おうよ。俺だって、西武池袋が呼ばれたとき、とんでもなく
嬉しかったよ。だからもういいじゃないか。子供は無理だったんだよ。」
「そうか・・・私がいけないのだな。」
「いけないというか、その・・・」
あの方のお子が沢山いるのは西武池袋も西武新宿も重々承知している。でも、電車と人ではそもそも・・・と、新宿は
思うのだが、西武池袋には到底納得のいかないことであった。
「私の頑張りが足りないのだ、だから、出雲の神様も私にまだ子は早いとおっしゃられているんだろう。」
歌うような声だった。ようやく落ち着いたかのような穏やかな声だったけれど、それは西武池袋の調子が悪いときの癖
だったと西武新宿は良く知っていた。
「西武池袋はそのままでいいんだよ。十分頑張っているよ、あの方もわかって下さる。」
「そうだな。きっとそうだな、そうだといいな。」
老いを知らない電車の美貌は今も変わらないけれど、あの方は年を取っていく。より重厚さを増すたびに、あの方は
骨壷に近付いていく。それを、西武新宿は考えないようにしていた。西武国分寺も、西武拝島も、西武秩父も、みな考
えないように、考えないようにしていた。あの方は死なないと、そういう特別な存在であらせられるのだと思っていた、思
い込んでいた。
でも、西武池袋は・・・。
季節がめぐって、寒い冬が終わり、ようやく春がきた。
このまま春が終わらないのではないか、というほど切なさを重ねた春が。
いつの間に用意していたのか、借り物ではない上等な喪服を着ていた。
「用意周到だな。」
多分に嫌味の棘を含んで、西武新宿はぼそりといった。
「お前は用意していなかったのか?」
西武新宿は普段使用する喪服(社会人ならば一着くらいは持っているであろう、ごく普通の品だ)で、いつものお葬式
と同じ格好だった。取引先の重役がしんだときと同じ格だった。特別な方のなくなった日にはふさわしくないかもしれな
いし、ふさわしいのかもしれない。
「オレは、あの方がなくなる日なんて想像していなかった。」
西武新宿の心からの嘆きを、心からの悲しみを、西武池袋は冷めた目で見る。彼女ももちろん悲しんではいるのだけ
れど。
「私は、あの方のなくなる日を特別な日にしたかった。一番着飾って、どんなおんなたちよりも美しくあろうと決めたん
だよ。」
上等な着物、それよりもお金をかけた白い襦袢。無地の帯、水晶の数珠、黒絹の髪留め。
「キレイだろう?ゆっくり選んだ、私の選びうる最善のものだ。」
「池袋・・・」
「わかっているよ、新宿。最後までいわなくていい。今日、私は池袋にでもいることにする。焼香は私の分までよろし
く。」
しゅっと立つと、西武池袋は未亡人というには芯があった。大切な人を失った、倒れそうな特有の雰囲気がなかった。
「私はいってはいけないのだろう?」
西武新宿が切なくもうなずく。連れて行ってあげたいけれど、一緒にいきたいけれど。
「お前は私を妬まないのか?」
西武新宿は薄く笑う。
「なぜ?」
「私だけあの方に抱かれたから。お前だって、男性型をとっていたって、できるものならば抱かれたかっただろう?」
さあ、と西武新宿は言葉を濁す。
「やっぱり俺は男だからさぁ。西武池袋とはちょっと違うことを考えるんだよね。」
「どんなことを思う?」
悠長に話している時間はない、早く向かわないと、あの方の亡骸が火葬場に行く前に。
「あの方は神様だから。寝ちゃったら、人間だってわかっちゃうでしょ?」
「そのような・・・」
「だってそうじゃない?俺は喪服の支度をしていなかったのに。池袋は用意していた。それが、意識の違いじゃな
い?」
池袋は呆然とする、なぜ?私もあの方を神のように思っていると。
「ほら、そこだよ。神の'ように'って。かわいそうにねぇ、池袋は。嫉妬にかられてあの方を心から崇拝できなくなっちゃ
たたんだ。」
冷たい白い頬にキスをする。キレイなキレイな彼女の頬に。
「だから葬儀に行っちゃいけないって言われちゃったんだよ。可哀そうだね。」
水晶の数珠をじっとみて、しゃらしゃらと振った。冷たいキレイな音がした。
「池袋の分もお焼香してくるから、またあとで。」
最後はなんとむなしく響くのだろう。池袋の恨みがましい視線を受けながら、西武新宿は家を出て待ち合わせの場所
に向かう。時間はぎりぎりで、小走りになる必要があった。
空はきれいにからりと晴れて、まだ肌寒い春の日。太陽はさんさんと輝いて、新しい人生の門出ならばとてもふさわし
い日。
「お葬式に行くにはもったいない日だ。」
あの方がなくなったのに、なんてことを思うのだろうと、誰も聞いていなかったかどうか周囲を確認する。
いつも通りの朝で、通勤時間を過ぎた住宅街に、彼の言葉を聞きとがめそうな人はいない。
西武新宿は胸ポケットに手を当てる。袱紗に包んだお香典が入っている。
(このお金でおいしいものをかって、西武池袋のお土産にしようかな)
もしも葬儀に行かなかったといったら、西武池袋はどんな顔をするだろうか、あきれ果てるだろうか、それとも口汚く罵
るだろうか。それは西武新宿の想像を超えたものなので、たやすく予想できない。
西武新宿は今もどこか、あの方が生きているように思っている、だから葬儀がまるで茶番のように思えて仕方ない。
いつものように執務室で机に向かって書類を書いているんじゃないだろうか、なんて。馬鹿らしいとはわかっていても、
足取りは重い。
(この日のためにずっと準備をしていた西武池袋はどんな気持ちだったのだろう。)
どんな気持ちで、いずれ死に行く人を崇拝し続けたのか。
(なんてかわいそうなひと)
でもそれだけにかわいいのだと思う。今も、会場の方を向いて泣きもせず黙っているあの人が。
(11月26日)