ひとでなしの恋
携帯電話が光って、外部ディスプレイに登録されていない番号が表示された。登録しなくてもわかるから登録していない
番号だった。
「…はい。」
『西武?』
「はい、西武新宿です。」
『今日の夜時間ある?』
「今日は…」
少しためらってから了承した。どのみち西武新宿のスケジュールは把握されているにちがいない。
「どこで待ち合わせしますか?」
『新宿でいいかな。』
「わかりました。1時に東口で会いましょう。」
『うん、じゃあまた後でね。そうそう、今日は青以外のコートで来てね。』
柔らかい口調に相応しく柔らかく切られた通話後のツーツーという音が耳につく。手帳を確認してから、西武池袋につく
嘘を考えた。どうせあからさまな嘘になって西武池袋は声を低くするのだろう。
終電を見送ってから新宿東口にたった。西武口より少しあるいたそこは終電あとでもたくさんの人が流されるように歩
いていて、人嫌いの西武新宿はとても嬉しい。人が少ないと一人一人の個性が見えてしまうけど、水が流れるように去
っていくたくさんの人たちは西武新宿になんら関わらない。
「お待たせ、寒いのに待たせてごめんね。」
銀座は仕事が終わってすぐ来たらしく、いつものベストがコートからのぞいてみえる。
「いえ、今来たところですから。」
西武新宿ははにかむように笑ったが、作り笑いなので上手く笑えたか心配だった。
「どうしよっか、あんまり考えずに新宿にしちゃったけど。とりあえずご飯食べようか。」
「はい。」
二人で話すのは得意でない西武新宿がコートの裾をぎゅっと握ったのを、さとく銀座が見つけた。
「…ホテルでルームサービスをとろうか。その方が気楽でしょう。」
先に歩き出す銀座の後を、西武新宿はとぼとぼと付いていく。西武拝島と西武国分寺と三人で新宿系忘年会をしたの
は楽しかった、安い居酒屋でバカみたいに飲んで、キレイな女の子をナンパして(残念ながら失敗に終わったけれど)な
どと思い出す。そのときと同じ道を歩いているのに足が重くて仕方ない。
「僕と一緒にいるところを見られたら嫌かなと思ってプリンスホテルは避けたけど…そっちの方が良かった?」
そんなわけないのに、軽いようで重い銀座の言葉はずしんときた。
「あの、ぎん…」
銀座と呼び捨てにすべきか、それとも銀座さんと呼ぶべきかわからなくて西武新宿は言葉尻をゴニョゴニョと誤魔化し
た。
「兄さん」
銀座が振り向いてにっこりした。
「兄さんって呼んでよ、昔みたいにさ。あの頃の西武新宿の方が僕は好きなんだ。揃えた黒髪が柔らかくて、可愛い目
が見えてて。」
銀座が西武新宿の手を握り引っ張った。けして無理強いせず柔らかく引っ張るのに有無をいわさぬところは、昔からの
ようでそうでもない気がする。西武新宿はささくれだった手を握り返すでもなく振り払うでもなくただ引きずられた。
「…兄さん」
「なぁに、西武軌道」
「…なにも」
振り払えぬ手はどうにもならなくて、ささくれだった手は痛くて嫌で仕方ないのに、視界を潤ませながらも西武新宿は逃
げられない。
ホテルのふかふかとした毛足の長い絨毯を踏むと、西武新宿はまるで違う世界に来たような気持ちになった。
「ねぇ、西武軌道の古い服が出てきたんだ。久しぶりに袖を通してみてよ。」
「え…」
「ほらほら。コート脱いで。」
西武新宿のコートに銀座の手がかかる。まるで宝物を汚されるようで西武新宿には我慢がならなかった。
「…ねぇ、嫌いなんだこのコート。僕から君を奪ったんだもの。」
銀座の握力を知っている西武新宿は慌ててギリギリとコートを握りしめるその手に触れてまるで温めるように包み込ん
でから一本一本指を外した。彼にとっての宝物は銀座にとっては路傍のタバコの吸殻よりもどうでもいいものなのだ。
憎んでいる分よりたちが悪い。
コートを脱いで丸く小さく畳んだ。青くない裏地を見せて少しでも有形無形の宝物を銀座の意識から遠ざける。コートを
脱いだところで下にはワイシャツを着ているしどうということはないのだけれど、ベッドの上に広げられたかつての制服
を目にして西武新宿はあからさまな皺を眉間に寄せた。それを強要するようなことは今までしなかった、ある種紳士的
な男と思っていたのに裏切られた気持ちだった。そもそも裏切ったのは昔昔の銀座かもしれないけれど。
「久しぶりにこれを見た西武軌道を見たいな。かわいいと思うの。」
西武新宿の黒歴史ともいえるそれを、この年でやすやすときてやれるほど西武新宿は若くないけれど、やすやすと断
れるほど容易な人間関係をもてるほど老成してもいない。
「バスルームで着替えてきてもいいよ。僕の前で着替えるのは恥ずかしいでしょ?」
さあさとささくれだった手が西武新宿の腕を掴み、柔和な外見に似合わぬ力でバスルームに押し込む。
「10分あげる。それまでに出てこないと、東西線との乗り入れを不可能にしてあげる。」
話が乗り上げているとはいえ、それを不可能にされては西武新宿として西武連中に合わせる顔がない。手に持った制
服を、意を決して着ることにした。なにをするかなんて覚悟してきているのだから、コスプレが増えるくらいなんてことは
ないのだから。
(…なんてことはない。なんてことはない。いつもどおり。いつもどおりの夜。)
自分を騙すように言い聞かせる。受動的なセックスは自分に言い訳が出来るけれど、受け入れては完全な受動ともい
えない気がした。それでもワイシャツを脱ぎズボンを脱ぎ、白い清楚なフリルがついたシャツに黒いリボン、黒いスカー
ト、ガーターとストッキングを着用した。下着がないのは銀座の趣味だろう、昔仕事中にははいていたけれど、確かに今
は不要だ。鏡の前で前髪を分けて左右に流した。髪は黒くないけれど、ほぼ全てが昔のままだ。
(昔のまま、昔なんだ。俺は西武軌道。東京高速鉄道所属、西武軌道だ。)
黒いリボンを結んでくるりと回って後ろ姿を確認してから、バスルームのドアを開けた。
「お待たせしました。」
ソファに座っていた銀座は西武新宿の姿を見て立ち上がった。
「やっぱりこの方がかわいい。」
ささくれだった銀座の手が西武新宿の頬を撫で、今更ながらに西武新宿は目をそらした。
「……食事はあとでもいい?」
いいです、と西武新宿が答える前に押し倒された。ガチャガチャと金属製の手錠を後ろ手につけられるが慣れている西
武新宿は別に慌てもせず、つけやすいように少し腰を浮かした。ワセリンを塗った中指を入れて軽くかき回すともう前
戯は充分と銀座が制服のベルトを外した。熱に浮かされるほど体を溶かされたわけではない西武新宿は無感情な目で
その仕草を見た。見てはいけないような、見てもいいような、結局また視線をずらす。
「…もうだめ、ごめんね。」
シャツが引きちぎられてボタンが飛んで西武新宿の薄い胸と薄い腹があらわになる。西武新宿の体が一瞬こわばる
が、銀座は気にせず薄い腹の乳首を噛んだ。
「いっ!」
「痛い?」
「痛いです…」
「もっと痛いっていって。」
西武新宿の首に息を荒くした銀座の手がかかる。力は入らないが喉を触れる手は気持ちがいいものではない。
「手…離して下さい。」
西武新宿の懇願に耳を貸さず銀座は再度乳首を噛む。痛みに西武新宿はめを閉じて歯の合わせに力を入れた。
「どうしたらいたいっていう?…これの方が痛い?」
「っ痛いっ!痛い痛い!」
中指一本でしかならされていなかった秘所に銀座の膨張したものがいきなり入り込んだ。銀座も痛いはずなのに、逃げ
ようと必死の反抗をする西武新宿を押さえつけながら腰をさらに進めた。
「やだっ…!兄さんやめ…っ!」
意図しない生理的な涙が西武新宿の目からぼたぼたと落ちた。必ずしもキレイな涙ではなかった。
「痛い?もっと痛いっていって、苦しいっていって。」
挿入が意図的に荒々しく繰り返され、西武新宿は手錠で自由にならない上半身と、銀座に押さえられて自由にならない
下半身でさらに暴れる。口からは言葉にならない悲鳴のような声がかすれてなんとかあふれるだけだった。
「兄さん、ってもっと呼んで」
涙でどろどろになった金色の目で西武新宿は銀座を見る。
「…にぃさん……」
酸素の足りない頭はもやがかかったように何も考えられないけれど、記憶の中のシーンが音声のない動画のように流
れた。銀座が丸の内を伴って東西を励ますシーン。混雑や強風で混雑を起こしやすい東西にはよくあるシーンだけれ
ど、丸の内に優しく接する丸の内をみた気まずさと不条理?といったもやもやした気持ち。そんな気持ちまでは思い出
せなかったけれど、聞きたかったことが何ら思考を経由せず、躊躇わずに口から出た。
「…丸の内にはこういうこと、しますか…?」
首を押さえる銀座の手が離れた。喉の違和感は消えても頭のもやはとれなくて、西武新宿は質問したことも忘れて体
の違和感と痛みに集中を戻す。銀座は首から離した手を滑らせて、柔らかい西武新宿の肌をまさぐった。あばらの浮
いたわき腹をとくに丹念にまさぐる。西武新宿は少し眉をひそめて不快感を示したけれど、手で払ったりはしなかった。
「しないよ。」
西武新宿は質問を既に忘れていたので、銀座が何を言っているのかわからなかった。金色の目で銀座を見て、また考
えもせずに話す。
「…にいさん、にいさん、丸の内の半分くらいは、俺のことも…?」
気にしていますか?心配していますか?思っていますか?大事にしていますか?それとも愛していますか?
銀座は西武新宿の続きの言葉を考えた。それによって答えが代わるかといえば、そうではない。丸の内の半分なん
て、メトロでも及ばないのに西武軌道が及ぼうなどと…と銀座は鼻で笑う。痛みだか快感だかに満たされた西武新宿は
銀座の下品な表情を見ない。みたとしても、忘れてしまうだろうけれど。
西武新宿がふいに手を銀座の背中に伸ばして、抱き締めるようにしがみついた。丸の内よりもずっと小さくずっと細い
子供のような骨格は不謹慎なことをしているような複雑な気持ちにさせたが、銀座はその気持ちが好きだった。
「もうダメ、イく」
性急に引き抜いて、焦点定まらぬ西武新宿の顔の上ですこしこすると、顔に乳白色の液体が飛び散った。頬や額や髪
を汚した液体からする生臭い臭いが西武新宿を現実に引き戻す。
「気持ちよかった。かわいかったよ」
にこにこと、いつもの表向きの顔を取り戻して銀座が笑う。笑うけれど、体を起こした西武新宿の手錠をはずそうとか、
精液を拭き取るとかそういったことはしようともせずに服を着始める。西武新宿は呆然としたままその様子を眺める。
「これ、カギ。置いとくから。じゃあね、また連絡するね」
西武新宿の頭をぽんぽんとなんどか撫でて部屋を後にする。ドアを開ける前に振り替えって呆然とする西武新宿をみ
た。そこでようやく銀座は丸の内への罪悪感を持ち、足早に部屋を出る。まるで、悪いモノから逃げようとするかのよう
に。
オートロックのカギがかかった音を確認してから西武新宿はベッドの上にほっぽられたままのカギを拾って器用に手錠
を開けた。痕のついた手首をさすってから洗面所で顔を洗う。洗い落とす頃に食事をしていなかったことを思い出したも
のの、なにかが胃袋に入るような状況でもないのでシャワーを浴びて布団にくるまって眠ることにした。冷たいシャワー
を浴びながら、今日のことを振り替える。そして振り返りきらないうちに明日のことを考える。そうするうちに考えることが
面倒になって、また次回考えようとなってしまう。銀座が妹という背徳的で便利な存在を、丸の内にはできないことをす
るために利用しているのはわかっているけれど、冷たい水がそれも流してしまってわからなくさせてしまう。
自分をみじめと思いたくなくて、そのために。
(3月2日)