小さな長野の、精一杯の告白だった。
 「大人になったら、僕と結婚してください。」
 大好きな人に釣り合うように、静かにゆっくり、あせる気持ちを抑えて長野はいった。
 「ねえ、長野。長野にとって一番大切なものはなに?」
 「もちろん上越先輩です!」
 子供の迷いのない目は上越を揺さぶる。それと同時に黒いものが胸を満たす。
 「わかった。じゃあ、長野が大人になるとき――長野が北陸になったとき、同じことをいえたら結婚しようね。」
 「約束ですよ!?」
 「うん、男と男の約束だ。」
 約束のしきたり、と上越は小指を出した。手袋をした手と手の小指と小指がからまりあう。胸がどきどきと高鳴ってい
ることが、小指を通じて上越に伝わってしまうのではないかと長野は気が気ではなかった。小指から通じなくとも、真っ
赤な顔から上越にはバレバレだったけれど。
 「約束です。」
 その約束が果たされると、長野は思っていた。待ってさえいれば、彼は長野だけのものになるのだと、子供特有の独
占欲を満たして一定の満足を得た。
 そして上越はその約束は必ずや破られるだろうと確信していた。この小さな子供に裏切られるのだと、その寂しさを
確信していた。


















 北陸は、女なら誰もが振り返る男前だった。
 見た感じは細いのに、上背があり制服の下はがっちりしているのだろうと思わせる所作。優しそうで、整っているの
に、しっかりとした面立ちから頼りがいがありそうに見える。
 「非の打ち所のないいい男よね。」
 越子がコーヒーを片手に笑う。シャツ一枚で廊下に出されて泣いていた頃よりだいぶ大人びて、上越のいたずらにも
多少は笑って流せるようになっていた。ようやく、なった、というのに。
 「私なら、あんな男にいいよられたらすぐ付き合うけどな。なにがいやなのよ、上越。」
 北陸からは見えないところで、二人でコーヒーを飲んで休憩しながら、二人でしかできない話をする。
 「何も、全部だよ。長野の頃はかわいかったのに。」
 「今のほうがずっといい男よ・・・見た目はね。」
 この宿舎の中で、こうやって二人でコーヒーを飲むことが今後あるだろうか?あの単純で幼かった越子が大人びた、
諦観した顔をすることが、上越は許せなかった。越子を責めるわけにもいかなかったし、越子は責められてももう昔の
ような反応を返さなかった。ただ、疲れた目で上越を見るだけだった。
 「上越は北陸のお嫁さんになればいいじゃない?あいにく、私にはそういう話がなかったけれど。」
 越子の目が暗くゆれる。そんなことは許さないと暗にいっていた。
 「・・・僕はねえ、長野に条件を出したんだよ。」
 「へえ。どんな?」
 「僕が一番だと、大人になったときにもいえたらいいよ、って。」
 越子がコーヒーをすする。ずずっと音が出てしまって、越子はそれを誤魔化すように声を出した。
 「長野くんはなんて答えたの?」
 「『約束ですよ』って。」
 「サイテーね。」
 「どっちが?」
 「どっちもよ。」
 冷たいビル風が吹いて、整えられた二人の黒髪を巻き上げた。
 「僕は、長野が好きだったのかな?」
 干渉に浸った声だった。それはどこか、過去に救済を求めて縋っていた。
 「あんた、ゲイな上にショタって救いようがないわ。ゲイはいいけど、子供はだめでしょ。」
 至極まっとうなことに、上越は笑う。
 「早く、お返事したほうがいいんじゃないの?私たちがここにいる間に。」
 「そうだね。早く、答えないとね。」
 よっこいしょ、と上越はベンチから腰をあげた。
 「越子も、会いたい人にあっておいたら?」
 「いないわ、そんな人。もう、いまさらよ。」
 上越は、越子の恋心を知っていたけれど、それ以上いうことはない。
 「いってらっしゃい。私のことは気にしなくていいわよ。」
 手を振って階段を下りていく越子の後姿を目で追う。あと何度、この光景をみられるかと上越はため息をついた。















 うろうろしていた上越は、東海道と話している北陸を見つけた。その立地から、絶対的な営業高を今も記録し続ける
鉄道の覇者と、今後東海道を支え日本で第二位の路線へと成長するであろう麒麟児。よく似合っていた、東海道が山
形以外の男に興味がないのは知っているし、北陸は長野の頃と同じように東海道を兄のように師のように慕っている
から、この二人がくっつくなんてことはないんだろうなぁ、なんて上越は思う。いっそ、くっついてしまえばいいのに。
 「あ、上越先輩!」
 北陸の反応で上越に気づいた東海道は軽く会釈をして、北陸に何かふたことみこと言って離れていく、彼なりの気遣
いであった。
 「上越先輩、どうかしましたか?」
 「ちょっと話したいなーと思って、はい。」
 「え?」
 「コーヒー牛乳。昔好きだったじゃない?」
 「そ、それは子供だったからで・・・今はブラックも飲めますよ!」
 「飲むの?飲まないの?」
 「うー、頂きます。」
 パックのコーヒー牛乳にストローをさして飲む北陸の横で、上越も缶コーヒーを開けた。
 「前にもいったけど、北陸への昇進、おめでとう。」
 「ありがとうございます。」
 ストローでコーヒー牛乳をすする音が上越にも聞こえる。このところ、北陸は上越を避けていた。明確にではないが、
できれば会いたくない程度には避けていたのだった。
 「長野の頃にした約束を覚えている?」
 「はい、覚えています。結婚の約束です。」
 「守れなかったね。」
 せせら笑う上越の顔を、北陸は面と向かって見ることが出来なかった、
 冷たい上越の視線が北陸を射る。
 「・・・ごめんなさい、僕は、あなたを一番にとれなかった。」
 長野から北陸になること。それは長野自身だけでなく、社内の人も、社外の人も、利用客も、みなが望んだことだっ
た。
 うなだれる北陸を、上越は冷たい目で見る。 
 「ね、北陸。あの約束は『大人になっても、僕のことを一番好きだったら結婚する』だったね。」
 「・・・僕の気持ちは変わりません。」
 「矛盾していたんだよ、最初から。君が大人になった段階で、もう僕を捨てているんだ。」
 長野が気づかなかったこと、北陸が気づかない振りをしていたことを、上越はあっさりといって捨てた。
 「だから、最初から無理な約束だったんだ。君は、新幹線でいたかったんだろう?乗客に必要とされたかったんだろ
う?」
 北陸は無言をもって肯定と返す。
 「それが当たり前だ。それが、路線としてあたりまえのことなんだ。だから、いいんだよ。僕は君と結婚も出来ないし、
 もうこの宿舎にもいられないけど、それは運命だったんだから。」
 「僕は、あなたを守りたいと今でも思っています。」
 「なら、僕を高速鉄道のままでいさせてくれる?」
 それは北陸一人の力ではどうにもできないことだった。
 「できないことをいうんじゃないよ。じゃあね、北陸。」
 北陸には黙っていたけれど、今日は宿舎を出る日だった。いつまでもいられない。
 「・・・先輩は、僕を一番に思ってくれましたか?」
 長野の頃から、一度も愛情の確認をしなかった彼の初めてのわがままだった。だから、上越も素直に答える。きっと、
最後の会話だから。
 「一番だったよ。だから、君のために高速鉄道を辞めるんじゃない。」
 本当は、ずっと内緒にしておくつもりの言葉だったけれど、もう、今言わないと二度と伝えられないことをわかっている
上越は静かに言った。
 「・・・先輩っ!」
 北陸の腕が上越を抱きしめようと伸びる。その手から、上越はするりと逃げた。
 「続きはまたいつか、ね。」
 制服の裾を翻す上越に、長野はずっとあこがれていた。あんな風にかっこよくなりたいとずっと思っていた。それが叶
った今でも、北陸の手に上越は収まらない。
 「はい。また、今度ですね。」
 上越がいなくなることを知らない北陸はおとなしく腕をおさめる。
 もう二度と宿舎に現れない上越を追いもせず、ただ見送った。







 宿舎の玄関には、旅行カバンを持った越子がいた。大型家具はみな備え付けであったし、二人の私物はとても少な
かったから荷物は宅配便ですんでしまった。
 「おまたせ。」
 「おそかったね。話はついた?」
 「うん、プロポーズをお断りしてきた。」
 「ばっかねえ。」
 越子はにこにこしていた。
 「上越はこないかと思った。北陸と、一緒に暮らすかもって思ってた。」
 「そんなことできるわけないだろう。」
 「そのほうが幸せだったかもよ?」
 上越の手を越子が握る。越子の小さな手は今までにないほど冷たかった。
 「でも、よかったわ、二人で。一人ではとても耐えられなかった。」
 越子が高速鉄道宿舎を振り返る。大きくて、立派な宿舎にもう戻ることはきっとないだろう。
 「もうちょっとで終わりだね、私たち。どうなるのかな?」
 「さあな、過去の特急達の話でも聞くか?」
 「知っているけど、考えたくない。」
 消えていったたくさんの特急たち。越子の知っている特急も、知らない特急も、たくさんの特急が生まれて、死んで。
 「でも、いいわ!私たちは二人で生まれて、二人で死ぬんだから、寂しくないね。」
 「そうだな、ばかなおまえでもいいこというな。」
 「ふふ、でしょ!」
 春だというのに、突き刺すような寒さの中、ふたりは人ごみのなかに消えていった。





























































(4月23日)