独り善がり






























 
 銀座の開業は、日本の鉄道史の見開きを飾るイベントだった。東海道の開業ほどではなかったが、地下鉄に向かな
いといわれた東京の地下を、たった数キロでも確かに走ったことは東京という街の規模を大きく飛躍させるのに偉大な
役割を果たした。
 そんな有名な路線だから、西武池袋が銀座(地下鉄道線)を知らないということはない。また、当時はそんなに路線が
多くもなかったから、銀座もまた西武池袋の顔と名前くらいは知っていた。それでも、互いに接点は少ないからプライド
の高いもの同士、いけ好かない印象を持っていたので近づくことはなかったのだけれど。
 そんな二人の距離が一気に近づいたのは、丸の内の開業だった。
 「こんどから新しく走る子。丸の内っていうんだけど、まずは池袋―荻窪間で開業することになったから、いろいろ面倒
かけるかもしれないけどよろしくね。」
 知っているのと大きくイメージの変わった銀座(そもそも、会わない間に名前まで変わっていた)に、西武池袋はたじろ
いだ。
 「よろしく!」
 「こら、よろしくお願いします、でしょ?きちんといってね。」
 まっすぐに手をあげた丸の内にやさしく微笑みかける銀座に、西武池袋はめまいがした。こんな男ではなかった、別
人ではないかと思うが、髪形は違えど顔は確かに変わらなかった。
 「ごめんね。でも、仕事はきちんとできる子だから、何かあったらいってくれる?」
 「あ、ああ。わかった。」
 「よろしくね。」
 このあと山手と東上に挨拶にいくという二人の後姿に、西武池袋は呆然と手を振った。
 
 
 
 








































 
 
 銀座と西武池袋が時折顔を合わせるようになったのはそれからで、今日も西武池袋は銀座で待ち合わせをして昼食
を一緒に食べる話になっていた。
 「お待たせ、待った?」
 「待った。が、貴様は忙しいのだろう、仕方あるまい。」
 私のような田舎路線にはわからないがな、と皮肉をいって、西武池袋はメニューをみた。それにならって銀座もメニュ
ーを広げる。
 「何にする?」
 「もう決めた。」
 「あらそう?でも僕決めてないんだ。ちょっと待ってね。」
 西武池袋が何か決めるのに迷わないことも、銀座が案外悩むことも、二人の間ではすでに当たり前のことになってい
て、そこから微妙な空気が生まれることもなくなっていた。
 「それで、今日の丸の内はどうだった?」
 「午前中はまじめに働いていたぞ。昨日の昼はちょうちょを追いかけていたから怒ったから、少しは反省しているのか
もしれん。」
 「ああ、それ西武池袋だったんだ。怒られた!っていってたよ。そういう理由だったんだね。」
 「その前はなにか迷い猫を探していたとか・・・。どういう教育をしてきたんだ、貴様。」
 「そういわれても、丸の内はうちにきたとき既に大人だったし。あ、でも話は僕にも詳細はわからないんだ。だから西
武池袋から聞いてわからない部分を埋め合わせしないと。」
 「・・・東上にでも、山手にでも聞けばよかろう。」
 西武池袋は少し顔を背けた。繁華街をいくつも繋げて走る銀座が、池袋までしか出られない自分をランチに誘うのか
まったくわからなかったからだ。丸の内の話は山手も東上もわかる。それに、ホームは西武よりも国鉄と東武の彼らの
ほうが近い。
 「でも、丸の内のことをきちんと叱ってくれているのは西武池袋でしょう?だったら、西武池袋に聞くのが一番いいじゃ
ない?」
 銀座は指を組み、顔を乗せて笑う。銀座の笑顔は甘ったるいほどに甘く、西武池袋は直視できないほど密かにそれ
を好いていた。そらした目は、まだ戻せない。
 「聞かれれば、教えてやる。西武は慈悲深いのだッ!」
 「堤さんの教えはそうなんだ。」
 「早川は何をいったのだ?」
 西武池袋は早川をよく知らない。銀座と早川の関係も深くはしらないから、かえって聞けた。銀座は一瞬息を飲んで
から、嘘をいう。
 「なんていっていたかな、忘れちゃった。」
 あからさま過ぎる嘘に、西武池袋は料理を口に運んで言葉を誤魔化した。
 「今日、丸の内は何を食べるんだろうな。」
 結局、二人の共通の話題は丸の内のことしかない。それも一つ学んで、二人は話題を元に戻す。
 「どうしたんだろう?お弁当がいいお弁当、って昨日ずっと騒いでいたから、寮のお嬢さんに作ってもらったんじゃない
かな。」
 「お嬢さん?いいのか?おまえの大事な丸の内に悪い虫がつくかもしれない。」
 ふふふと、銀座は笑う。
 「お嬢さんは、もうお孫さんのいる方だから。」
 「・・・そういうのは、お嬢さんとはいわない。」
 「いいじゃない、僕の勝手でしょ?それにね、もし丸の内に彼女ができても、僕は温かく迎えるつもりだよ?」
 フォークを止めて、西武池袋は銀座の目をじっと見る。そんな嘘は見抜けるとでもいわんばかりに。
 「本当だよ。僕はあの子を息子のように思っているんだ。小舅にならないように気をつけなくちゃ、とは思っているけど
ね。」
 「自覚はあるのだな。」
 西武池袋は止めていたフォークを動かして、サラダを口に運んだ。
 「丸の内がいなくなった貴様など、想像できないな。」
 「そうだね、あの子は僕の救世主だから。」
 「私にとっての堤会長と同じくらいに?」
 早く食べ終わってしまった銀座は、ゆっくりと咀嚼する西武池袋の口元に視点を置きながら、西武池袋の言葉を反芻
する。
 「・・・うん。たぶん。」
 そう、と西武池袋は興味なさそうにいい、大切ならば大事にしろ、とぶっきらぼうにいった。













































 おもに西武池袋が銀座や赤坂見附に出かけての銀座との食事は丸の内が開業してから長いこと続いていた。
 その日の昼食も西武池袋は銀座と約束をしていたが、電話一本で事態が、西武池袋の世界が急転した。
 『会長が東京駅で倒れられました。』
 秘書の一人からもたらされた急報は、西武池袋の心を倒れさせ、体を硬直させた。
 「でも・・・ご無事なのだろう?以前のご病気だって苦しんでおられたけれど快癒されたし・・・」
 『・・・大変危険な状況です。』
 もう言葉がでなくなって、西武池袋は電話を置いて走り出す。池袋駅から東京駅に行くには山手線よりも丸の内線の
方が速い。人ごみをかきわけて、丸の内線の改札前まできて、西武池袋は銀座にあった。
 「あれ?西武池袋?どうしたの、そんなに急いで。」
 「銀座!?今は話している暇はない!」
 制止するように軽く手をかざして、銀座はまじめな顔で、西武池袋を凝視した。
 「理由は知っているよ。東京駅で堤が倒れたんでしょう?東京駅にいる丸の内から連絡があった。だから、僕がここに
いるんだけどね。」
 「・・・知っているならばどけ!私は・・・東京駅にいかないと!」
 「いってどうするの?」
 銀座の冷えた声は興奮して頭に血の上がった西武池袋を一気に冷やした。心臓に冷たい水を差されたように。
 「なにもできないでしょう?なら、君は君の持ち場を守ればいい。それに、僕との昼食の約束を忘れちゃったの?」
 「たしかにそうだが・・・けれど、今はそれどころでは・・・」
 「君に今出来ることがあるとすれば、東京駅にかけつけるよりも、直通運転実現のために営団に媚を売ることじゃな
い?」
 西武池袋は言葉を失って、改札に立ちふさがる銀座を瞬きもせずに見つめた。銀座も目をそらさずに睨む。西武池
袋はひざの力を失ってその場に倒れこんだ。周囲の視線が突き刺さるようにとぶが、西武池袋はそれでも動けない。
 「・・・だから、食事に行こう。それと、今日は池袋で食べよう。お弁当持ってきたし。」
 老舗デパートの印字の入った袋を改札の陰から取り出し、銀座は西武池袋の肩を持ち上げて西武の休憩室へと連
れて行った。

























 「お茶ってこれでいいのかな?・・・勝手に使わせてもらうね。」
 慣れない部屋にとまどいながら、銀座は自分と西武池袋のためにお茶をいれる。包みをといて重箱を開き、小皿と箸
もそれぞれに並べた。その間も西武池袋は放心したように呆然としていた。
 「まだ死んだわけじゃないんだから、もう少し希望をもったら?」
 銀座が小皿に料理を取り分けて目の前においてあげても、西武池袋は箸を握り締めたまま手をつけない。
 「・・・胸騒ぎがする。前に、死にかけたときみたいに。ざわざわと、体の中でたくさんの何かがうごめいて、私を分解し
ようとしている。」
 ぽたん、とついに涙が落ちた。
 「なあ、銀座。大丈夫だよな?ピストル堤といわれた会長だもの。きっと、きっとお元気な姿でお戻りになられる・・・!」
最後はかすれた叫び声のようだった。痛々しい西武池袋の姿に銀座はなにかしらの衝動にかられた。
 「ねえ、西武池袋」
 銀座の声は、休憩室に乱入してきた車掌の声でかき消された。
 「池袋さん!会長が!入院先の病院で先ほど逝去されたと連絡がありました・・・!」
 ぽたぽたと流れていた西武池袋の涙がとまった。車掌が「本社より連絡があり、従業員各位は勤務を続けるように、
とのことです。」と伝えると、わかった、私はここにいるから戻っていい、と力なくいった。車掌は銀座の顔姿を知らず、い
 ぶかしんでいたが、躊躇しつつも部屋からでていった。
 「・・・逝去された。そうか・・・」
 力なくうなだれる西武池袋の手から箸が落ちた。
 「・・・悪いが、今日は帰ってくれ。」
 死んだ目をして視線をそらす西武池袋はまだ現実を認められず、心をどこか遠くにやってしまいそうなので、銀座は
強くその腕をつかんだ。
 「辛い?」
 「・・・よく、わからない。」
 「わかるよ、同じことを経験したもの。五島のものになって、早川さんは失意の中で亡くなって。でも僕には何もできな
かった。」
 銀座の声が西武池袋に届いているかはよくわからない。けれど、視線を揺らすから、おそらく伝わっているだろうと思
って銀座は話を続ける。
 「辛いでしょ?そんな辛いことに耐えるのはもっと辛いでしょう?だから、僕と一緒になっちゃおうよ。」
 銀座が手を差し伸べる。意味のわからない西武池袋は目を白黒させた。
 「なんにも考えなくていいようにしてあげる。辛いこともみんな忘れさせてあげる。・・・好きだから。」
 「貴様、なにをいって・・・」
 「なんなら、ここで抱いてもいい?」
 銀座がいつも以上に気合を入れてにっこりと笑う。甘ったるいその表情はいつも西武池袋が視線をそらすほどのもの
だったけれど、今日はただ、表情を曇らせるだけだった。
 「逃げないのなら、いいよね。」
 西武池袋は逃げようとしたのだけれど、体に力が入らなかった。それでも、弱い力で頬をはたく。
 「やめてくれ。そんな形で慰めるのは。」
 「そう?でも、君のことが好きなのは本当だよ。」
 「私とお前は一緒になれない。」
 「なんで?あんなにたくさん一緒に食事して、楽しかったじゃない?」
 「丸の内の話しかなかったじゃないか。早川がいなくなって丸の内がきた。お前にとって、あれはそれだけ大事なもの
だろう?」
 いいあてられ、銀座は苦笑する。
 「私たちは相容れない。お前が早川を忘れて丸の内で事足りているようにすることは、きっと私にはできない。きっと
わかりあえない。」
 「わかりあえなくてもいいじゃない?」
 「そうだな。けれど、お前の慰めの言葉はきっと私を切りつける。・・・だから、もういい。もういいんだ。」
 両手で顔を覆った西武池袋は視界から銀座を放り出して、椅子の上で小さくなる西武池袋は、頼るべき人を見失った
子供のようだった。
 (迷子になった彼を見つけてくれる人はいるのだろうか)
 銀座が丸の内に救われたように、西武池袋も誰かに救われる日がくるのを、願うように嫉妬するように期待した。















































































 うきうきと支度をする有楽町をみかけたので、おやと思って銀座は声をかけた。
 「どこかにお出かけ?」
 「うわっ!びっくりした!うん、ちょっと池袋に。」
 「おや、デート?」
 「・・・うん、まぁ、一応。」
 「じゃあ、これもっていく?あちらも大所帯だからこれじゃ足りないかもしれないけれど。」
 デパートの紙袋を、有楽町は素直に受け取った。
 「ありがとう、きっと喜ぶよ。」
 「いってらっしゃい、外泊するならメールしてね。」
 顔を赤らめながら出かける有楽町を見送って、銀座はあの日の後悔をようやく忘れようとしていた。
 「独善を振りかざすなんて、僕も若かったな。」
 あの池袋でいれたお茶の代わりに、と新しくかったお茶は毎年渡せず結局自分で封をきっていた。お茶どころの人に
お茶を送るのは変かもしれないけれど。
 (僕の後輩が彼を救うなんてね、やられたなぁ。)
 それでも、銀座も救われた気がして、穏やかな気持ちで、あの春の日を思い出した。



















(5月17日)