春になると辛いという彼がとてもかわいそうだと有楽町は思った。 戦後生まれの有楽町は早川さんを知らないし、辛い時代もその前のすばらしい時代も知らない。大正の灯りも、戦争 の照明弾も知らない。 そのことを西武池袋は疎んではおらず、むしろ知らない世代が増えたことをよろこばしく思った。 大好きな神様が政界に入って携わった国が、平穏無事に時代を超えて今何も知らない線路が増えてきて、体に傷の ない若い路線を見るのは誇らしかった。 「西武池袋と一緒に生きたいのに。」 時折有楽町は苦しそうにもらす。 同じ時代を一緒に生きているのに、有楽町には西武池袋の知らない過去がときどき大きくのしかかる。 西武池袋は昔話を好むほうではなかったが、問われれば答えた。体に残る傷跡のひとつひとつまでゆっくりと説明し た。 会長の話も問われずともした。会長は西武池袋の生きた理由であり、生きる理由である。たとえ亡くなられても、それ だけは変わらない。 だからこそ春は切ない。桜の咲き始めた頃、二人で歩いていて西武池袋がいつものように会長の話をした。 元気な頃の、精力的に活動されていた話など、何度もいった内容だったけれど、有楽町は笑顔を絶やさず耳を傾け ていた。 有楽町にとって会長は神様ではないから何度も覚えるほどきいて、楽しいわけではない。 けれど、会長の話をするときの西武池袋は機嫌よく表情をくるくると変えて話す。 西武池袋の綺麗な声が聞けるのであれば、有楽町にとって内容は聞き古したものでも構わなかった。夜の紺色の空 に西武池袋の声はよく似合った。 「会長さんがいなくて辛い?」 当たり前の質問に、当たり前の返事を西武池袋は返す。 「当たり前だ。」 「俺さ、西武池袋の話聞いてて思ったことあるんだけど、怒らないで聞いてね。・・・西武池袋はさ、会長さんのところに 行きたいと思わないの?」 死が遠くかなたにある若者の言葉は、既に老人の域に達した西武池袋の耳にかえって新鮮に響いた。 「私の使命は、あの方の残してくださったものを繋ぐことだから。」 「繋ぐっていってもさぁ、俺らは死ぬまで俺らじゃん?」 「私が走れなくなれば、いずれ代わりが生まれるだろう。」 「俺らはトンネルがダメになれば終わりだけど、お前らは補修を続けたりレールや車両を交換し続ければいつまでも 走れるだろう?終わりなんてないのに。」 西武池袋も、自分の終わり方については考えたことがある。いつか、乗客が誰もいなくなって、出来たら惜しんでもら いながら、でも過去の遺物となって、誰にも迷惑をかけずにひっそりと消えていきたい。できたら、お別れの式典もやっ て欲しいな、なんて。 そんな未来は西武池袋が思い描いて許されるものではないし、望んでいるものでもない。 彼は幾星霜も時間を越えて会長の残したもの、期待を、希望を費やさずにこの世にあり続けさせなければいけない。 責任重大でやりがいのある仕事と、西武池袋は自分のことを誇りに思っている。 西武の他路線もいる。上場廃止も乗り越えて、それでも西武の面々は今日も走っている。なくなるなんてことはきっと ない。 それは、西武の終わらない苦痛を意味している。何年たっても会長の亡くなられた季節を嘆き、春を恨む。毎年毎年 その繰り返し。桜を美しいと思わなくなって久しい。それほど、春は辛い。 「終わりたいって思わないの?お前は十分がんばったじゃん。」 有楽町の言葉は、一つ一つ否定して矯正させなければならないものだった。 西武を侮辱しているのか、われわれをなんだと思っているのかと、西武の言葉で正さなければならないのに、西武池袋 は時折唇を震わすだけで言葉を出せない。 「・・・いつか時代が私を殺すまで、私は走り続けなければならない。少なくとも、私が自分の足を止めることなど、会長 は望まれない。」 「そう。」 「会長は、私のすべてなのだから。」 付き合って、何度も肌を重ねた相手の中に自分の要素が少しもないと断言されるのは、いくら人の良い有楽町でも寂 しかった。けれど、人の良い有楽町は言葉の裏を勝手に察する。 言葉の裏なんていくら察しても本当か嘘かもわからないのに。 「西武池袋は俺のすべてだよ。」 有楽町の戯れを、西武池袋は笑って許した。 「なぁ、西武池袋。俺はお前が毎年つらいのが嫌なんだよ。」 笑っていて欲しい、辛いことなんて全部捨ててしまって、電波でもいいから会長が好きでもいいから、西武池袋に好き なものだけに囲まれた生活をしてもらいたい。その中に少しだけでも自分がいさせてもらえれば良い。 けれど、西武池袋の苦しみはきれいごとでは解決できないだろう。もっと根本的になたを振るわないと、いつまでもい つまでも春を嘆き続ける。 それが西武池袋の幸せだとはわかっていた。 終わらない苦しみにもがきながら、西武池袋は終わらない幸福に溺れている。 「逃げちゃわない?」 何も考えずするりと口から出てしまった言葉に驚いたのは西武池袋よりも有楽町自身であった。西武池袋も驚いた目 で、非難する目で有楽町をみつめる。 どうせならばもう乗りかかった船と、有楽町はあふれる言葉をそのままフィルターにかけず口からぼろぼろとこぼし た。 「いっそ、死んでしまって会長のところにいけば辛くないんじゃない?」 西武池袋はゆるぎない目で有楽町を射抜くように睨んだ。一瞬も有楽町の言葉に乱されぬ強いところがまた好きだっ た。 「心中のお誘いは初めて受けたな。」 「よくない?一緒に東尋坊に飛び込むとかさ。」 「東尋坊とはまた古風な・・・貴様のような若者でも知っているのか。」 「観光名所じゃん?」 「ならば余計、そこでは迷惑だろう。」 「ならどこがいい?西武池袋とならどこでもいいよ。」 まるでデートに誘うかのような口調に、西武池袋は軽く「やはり海がいいな。私は海を見ないから。きれいな淡い色の 海がいい。」と答えた。 まるで、デート先の希望を告げる可愛らしい答えのようだった。 「じゃあ海にしよう。南の海がいいな、沖縄とか九州とか、電車だと足が着くから車に乗ってフェリーで行こう。」 「フェリーの連中にばれないか?」 「多分顔割れてないし、二人とも髪の色変えたら絶対にわからないよ。俺は関東から出たことないんだ。初めてだ よ。」 「沖縄がいいな。きっと、もう二度といけない。」 「いっそ海外とか?」 「パスポートがない。」 「それもそうだな。」 旅行のプランをたてるのとまったく同じ話だった。 楽しい旅行の最終目的が心中というのがなんともアンバランスでいいじゃないかと有楽町は気に入った。 「浅い海で死ねるもの?」 そういえば、と疑問におもった有楽町の質問を、西武池袋はあっさりと解決した。 「玉川上水で太宰治が死ねたんだ。海ならどこでも大丈夫だろ。」 不謹慎な話題に花を咲かす二人の間には温度のない空気が漂う。それは熱くもなければ冷たくもない、居心地のよ いものだった。 「いつにしようか。来週の日曜日はどう?」 「いいぞ、休みにしておこう。」 手帳にさらりと書き込んで、じゃあまた来週と軽い雰囲気で西武池袋は立ち去っていく。 細身の綺麗な後姿は、絶世の美女を想像させる柳のようなしなやかさで、あんな人が辛く苦しんでいるところなどみた くない、とやはり有楽町は思った。 有楽町と心中すると決めた日、前々から西武池袋は休みをとっていた。 前日の夜は簡単な身支度をトランクケースに詰め込み、簡単な遺書も書いた。 自分にどれだけ本当に死ぬ気があるのかよくわからない西武池袋だが、ペンはするすると進み、侘びやら感謝やらと いった言葉が並んだ。 けれど最後まで会長へ残す言葉は見つからなかった。もういない人なのだから当然で、西武池袋はただあの世であ ったときの言い訳を考えたのだがうまい言葉は見当たらない。 書きかけだけれど一応完成した遺書をトランクケースに忍ばせ、その夜西武池袋は床に着いたが興奮して眠れなか った。眠るのも最後かと思うと、奇妙にテンションがあがってしまい全身の血が走るように沸き立っていた。 当日、いつものように朝食を作ろうとキッチンで料理をしていると、西武新宿があわてた顔で階段を下りてきた。 「おはよう。」 「大変だ西武池袋!西武有楽町が熱出した!」 「え?熱?」 西武有楽町はめったに体調を崩すことのない手のかからない子だった。路線であるから体が丈夫なのは当然にして も熱を出すことなどこの数十年数えるほどしかなかったのだ。 それがなぜ今日に限って?と西武池袋はそら恐ろしくなった。 (逃亡が会長に知られたのだ、そのお力で西武有楽町がいま苦しんでいるのだ。) 愛する会長を裏切ることなど実際にはできない小心者の西武池袋の頭に、金槌で殴られたような衝撃が走った。 少し想像に逃げたかっただけだった、苦しみから解放される期待をわずかばかり持ちたかっただけなのに、西武池 袋は制裁に恐れおののいて菜ばしを落とした。 「37.8度。本人は仕事にいくといっているが、休ませるよな?」 確認する西武新宿に、こくこくとうなづいて返した。菜ばしは床に転がってしまったが、西武新宿は西武池袋の後ろ暗 い思いに気付かない。 「今日お前休みだったよな?」 「ああ、西武有楽町の様子は私が見ておく。」 「ありがとう。西武秩父だけじゃ大変だから俺も池袋系統手伝うよ。拝島と国分寺にもいっとく。」 「頼む。悪いな。」 「お互い様だ。あと、今日は俺らの弁当いらないから西武有楽町に何か食べられそうなもん作ってやってくれ。」 「わかった。ひえぴたも持っていくか。着替えさせないといけないし。」 朝食の支度の途中だったので、菜ばしを拾って流しにいれ、新しい箸で料理の続きをする。本当は卵焼きを作る予定 だったが削り、焼き魚と味噌汁と煮物、それから弁当に入れる予定だった昨日のからあげを出した。 各自ご飯を持って食べるようにいい、西武池袋は救急箱からひえぴたを取り出しエプロンを台所において階段を登 る。 時刻は7時30分、待ち合わせの時間は8時だった。西武有楽町がいては家を空けられないので、もう間に合わないこ とは明白だった。 本当は有楽町になにか連絡をしてから西武有楽町の部屋に行きたかったが、周りの目がある手前それは避けた。そ れくらいのこと、西武各路線は気にしないだろう。西武有楽町の容態は命の危険があるものでなく、子供がよくかかる 風邪だったから休みの予定を変更する連絡くらい、当然だと思っただろう。 けれど、後ろめたい西武池袋は自分の部屋にある携帯に触れることにおびえた。 「西武有楽町、入るぞ。」 「・・・池袋ですか?」 「ああ、体はどうだ?」 「だるくて痛いです・・・」 いつもなら弱音をはかない子供が素直にいったことから、余程辛いのだろうと察しとる。そのときの西武池袋は母の ように父のように、この子供を全てから守らなければならないと強く思う。泣き言を言っている場合ではないと、しっかり しなければと思う。 「すみません、今日はお休みなのに・・・」 「気にするな。ちょうどよかった。」 意味がわからない、という風に西武有楽町は赤い顔を曇らせた。いいんだ、と西武池袋は西武有楽町の汗で濡れた 髪を払い、おでこにひえぴたを張る。 「何か食べたいものはあるか?」 熱で目を潤ませた西武池袋は少し考えてから「甘いものがいいです」と答えた。 西武池袋は教育のためも考えてあまり甘いものを買わないが、調子が悪いときならばいいだろうと了承した。 「少し眠るといい。がんばったからムリがでたのだろう。」 小さい路線は他社にもいるが、西武池袋はやはり自社の子供に甘かった。手を握り、頬をなでると西武有楽町は少 し恥ずかしそうに目を閉じた。 しばらくたつとすやすやと寝息を立て始めたので、西武池袋はゆっくりと手を離して立ち上がった。 部屋に戻り携帯電話を確認すると、有楽町から着信があった。待ち合わせ場所は家から距離があり、もう間に合う時 間ではない。 発信ボタンを押す。プルルルと呼び出し音が鳴る間、西武池袋は心臓の音がばくばくと鳴るのを手で押さえつけようと した。 『はい、有楽町です。』 私用の携帯電話なのにまじめに名乗る男の声は静かで落ち着いていて、西武池袋を責めようとは思えない声だった から、安心して話し始める。 「悪い、西武有楽町が熱を出した。」 『大丈夫?俺もお見舞いに行くよ。』 「ああ、誰かついていないといけないから、きてもらえると助かる。」 西武の家の中には西武有楽町と西武池袋しかいない。静まり返った部屋には誰か別の人間が必要だと思った。それ はできたら、今日の秘密を共有する有楽町がいい。 「待っている。」 端的に会話を終わらせると西武池袋は終話ボタンを押した。ツーツーと無機質に流れる携帯の音が耳障りだ。 キッチンの椅子に座って、西武池袋は心中するシーンを思い浮かべた。もしも、もしもだけれど、その場で自分は有 楽町の手を振り切って一人生き残ろうとするのではないかと、土壇場の醜い姿を想像して悲しくなった。 優しい有楽町は西武池袋の手を引いてくれるだろう。けれど、優しいから払った手を無理に掴もうとしない、そして一 人で落ちていってしまうのではないだろうか。 この世界から出て行くはずだった、朝食がこの家で食べる最後の食事になるはずだった。 昼食の支度を考えながら、西武池袋は悲しくなった。 あんまり悲しかったので、春が辛いことも少しの間忘れた。毎時なる時計の音が聞こえるまで、西武池袋は全てを忘 れて言葉にならない漠然とした悲しみに没頭していた。 手ぶらで来ていた有楽町は携帯電話をポケットにしまった。反対側のポケットには財布が入っている。いつもどおりの 軽装だ。 車で待ち合わせ場所にきていた有楽町は、運転席でため息をつく。 有楽町に本当に心中する気などなかった。西武池袋の気を引こうとしたのは確かだったけれど、彼はごく普通の愛を ごく普通な形でもっていた。 辛そうにする西武池袋を毎年見るのは有楽町には辛いことだった。 それを受け止めることも西武池袋の恋人として求められていることだとわかっていたけれど、なにか一石を投じたかっ た。 投じて波立たせて、少しでも西武池袋の悲しみが早く終わるようにしてあげたかった。大きなお世話とわかっていても、 してあげたいことはたくさんある。 今日、有楽町は西武池袋をつれて日帰りで出かけようと思っていた。 いったことのないところに、西武と関係のないところに、西武から離れた一日を作ろうと思っていた。 そもそも、「西武」という強固な仕組みを作ってしまったことに問題があるのだと有楽町は常々思う。 西武池袋は電波ながらに頭が非常によいと思っていたが、有楽町が思う以上に会長と西武池袋が作り上げたシステ ムは頑丈で内部で循環できる、はたから理解されにくいが内部の関係性を高めるものだった。 西武新宿系と話すようになってみて、あちらはまともな人間ばかりだと有楽町は知った。 それを愛する会長のもとにあれほどの結束をさせた西武池袋の頭に有楽町は感服しきりだ。 でも、だからこそ西武新宿たちは持っている心のはけ口を西武池袋は持っていない。針を刺して少し空気を抜いてあ げたかったのだけれど。 「・・・仕方ないよな。西武有楽町が体調崩したんじゃ。」 『何か必要なものある?買っていくよ。』 そうメールを送ると、西武池袋から『ゼリーとアイス、あと何か西武有楽町が食べられそうなものがあれば。』と返って きた。 車を返したら、デパートによって端から端まで頼んでみよう。きっと西武池袋は怒るけど、西武有楽町は喜ぶだろう し、今日はそんな馬鹿なことをしなくちゃいけない日に思えたのだ。 今日も西武池袋は有楽町には理解も察することもできない苦しみを抱いて眠るのだろう。隣で眠っていても欠片も役 に立てない有楽町だが、せめて隣で眠ろうと、西武の家を思い浮かべるのだった。 (7月2日 西武池袋は不憫じゃないですよ!幸せなんですよ!((言い訳がましくてすみません・・・ タイトルは東京事変の入水願いから引用しました。) |