リクエストNo.8
品川駅のラブレター















 「全通120年おめでとう。」
 どれだけたくさんのお祝いの言葉をいってもらったことだろう。誰よりも早く走りだし、誰よりも長く走り、誰よりも多くの
会社に身を置く彼は、その長い歴史と苦労に反して素直に祝福の言葉を喜んだ。


 京浜東北と東海道本線が先日の車両点検の話をしながら歩いていると、上官連中とすれ違った。京浜東北はあから
さまではない程度に体をこわばらせるが、ジュニアはどうということもなくいつも通りの様子で挨拶を交わす。
 「ジュニア、全通120年だってね。おめでとう。」
 「秋田上官、ありがとうございます。」
 「え?そうなの?ならお祝いしないとなー、メシ食いに行くか?」
 「いえいえ、いいですよ。山陽上官、お気遣いなく。」
 「あ、じゃあこれあげるね。」
 秋田が紙袋から取り出したのは、今日の会議のお茶請けにと用意していたお菓子だった。
 「そんな適当なものを渡すな。」
 東北が諌めるが、「じゃあ、今日のおやつってことで。よかったら食べてね。」
 デパートに入っていない高級茶菓子をジュニアはありがたく頂戴した。
 「東海道となにかお祝いした?」
 上越の質問は何気ないようにみえて裏があるかもしれない、ジュニアは警戒しつつ「メシ、ご馳走になりました。」と簡
素に返した。
 「へぇ。あの東海道でも兄らしいことするんだ。おめでとう、ジュニア。」
 上官連中が次々に祝福を述べる。普段は一在来に過ぎないジュニアだが、記念事のときに特別な路線なのだと、他
の在来線とは格が違うのだと、京浜東北は痛感する。
 給料は大して変わらないし、収益が少ないからジュニアなんて呼ばれているのに。
 彼がいなければ、彼が成功しなければみなここにいないのだと思わされる。
 少し距離を感じて、京浜東北はジュニアに何も言わずにその場を離れた。在来が上官連中を畏怖していることはジュ
ニアも重々承知しているから、こういうとき声はかけない。ジュニアはちらりと京浜東北の後姿を追ったが、山陽の言葉
に返すためにすぐ前に視線を戻した。



 先ほどの光景が頭から離れない京浜東北は休憩室で紙コップのコーヒーを飲みながら外の景色を眺めた。
 東京駅にある在来線の休憩室からも新幹線のレールが見える。彼らの特別なレールと特別なホームは、120年の歴
史に比べたらまだ新品のようなものだ。
 (何かお祝いをしたいな。)
 京浜東北がジュニアに誕生日プレゼントを買おうと思ったのは初めてのことではないけれど、今まで気恥ずかしくて飲
みに誘うかコンビニで買ったお菓子を買うか、そんなことをしていた。それでもジュニアは喜んでくれていたけれど。
 (なにか、今年は違うものをあげたい。上官達とはノリの違うものを。)
 心の中でざわざわとうごめく何かに気付きながら、京浜東北はその何かを噛み潰した。それが何なのかよく知ってい
るのだけれど。





 いつもよりはましなものにしようと思って、京浜東北はよくよく考えた。食べてなくなってしまうものよりも、形に残るもの
の方がいい。けれど、あまり重たく思われてしまうような物も避けたく、結局は無難な仕事で使えるものを選ぶことにし
た。
 ボールペンが一番無難かと思い、ショーケースに並ぶキラキラしたボールペンを眺める。
 京浜東北が過去に女性連中にプレゼントを贈ったときはもっと簡単だった。京浜東北が付き合った人はみな手のか
からない人たちで、自分で欲しい物を述べて一緒に買いにいくだけでよかった。
 向こうにとって都合の良い相手だったのだろうが、京浜東北にとっても都合が良かった。頭の良い彼女達は京浜東北
が買える値段を大まかに把握していて、不興を買うほど高いものや安いものを望むことはなかった。彼女たちが京浜 
 東北に与えたものとプレゼントはバランスが取れていて、京浜東北は彼女達をそれなりに愛していたのだ。
 今までと勝手の違うプレゼント選びは難航した。ボールペンと決めたはいいものの、色やデザインが沢山あって、どれ
を選べばいいものやら検討がつかないのだ。
 「プレゼントですか?」
 店員の女性のやわらかい声に、京浜東北はお得意の営業スマイルで返す。
 「ええ、同期が移動になるのでそのお祝いに。大事な友人なので、悩んでしまいまして。」
 誕生日プレゼントに、とはいえなかったから適当な嘘をいってしのいだ。素直にいったっていいことなのに、京浜東北
の心の内は二の足を踏んで無難な言葉を口にする。
 「手帳にはさめるタイプなどはいかがでしょう?」
 「うーん、それよりは普通のタイプがいいかな。」
 「でしたらこちらなどは。若い男性に人気の商品です。」
 『若い男性』の部分に噴出しそうになりながら、京浜東北は鮮やかなボールペンに決めた。
 オレンジの地のボールペンは彼の路線の色で、自分でこっそりと持っていたくなる色だった。




 翌日出社すると、東海道が机に座ってにやにやしていた。その手にはオレンジ色のボールペンがあった。
 「おはよう、ジュニア。」
 「おう、おはよう。」
 くるくると見事な手さばきでペンを回すジュニアの頬はゆるみっぱなしで、恋心を持つ京浜東北はついつられてジュニ
アに笑顔を向けた。そのとき、オレンジ色のボールペンに見覚えがあることに気付く。昨日、京浜東北が買ったものと
同じボールペンだった。
 「・・・どうしたの?そんなに楽しそうにして。」
 極力冷静さを装いながら尋ねると、ジュニアはなんの屈託もなく笑いかけてくる。ジュニアの喜びようから、京浜東北
にはだいたいの予想がついた。
 「兄貴から誕生日プレゼントにもらったんだ、これ。」
 (ああやっぱり、予想通りだ。)
 「昨日名古屋で打ち合わせがあったんだけど、そのとき名駅の高島屋も来ててさ。兄貴とあいつからって。いつもはプ
レゼントなんて寄越さないのに、何考えてるんだか。」
 憎まれ口を叩く東海道は嬉しそうだ。
 (そうだ、東海には高島屋がいたんだ。)
 鉄道と関係のない老舗デパートの包装紙は、今とても出しにくくなった。彼の色は東海の色ともそっくりだ。彼の兄に
兄の部下がアドバイスして送った品と、自分が選んだ品が同じだったことは誇らしかった、むしろ少し勝った気持ちにも
なったのだが。
 (当日にちゃんと渡せばよかったんだ。)
 後悔先に立たず、一瞬の戦勝感のあとどうしようもない虚無感が京浜東北を襲う。
 「東海道カラーでいいじゃない?さすが東海道上官だね。弟思いだ。」
 「うるせーよ。」
 ジュニアの視線の先にはオレンジ色のペン。もしかしたら、もう少し早ければ、そのペンは京浜東北がプレゼントした
ものかもしれなかったのだ。東海道がプレゼントしたのでなければ意味がないことを重々承知している京浜東北だけ
ど、負け惜しみを心の中で思うのは防ぎようがなかった。
 カバンの中にしまったプレゼントのことはなかったことにして、京浜東北はその日の夕食にジュニアを誘った。ジュニ
アは二つ返事で了解して、終電後新橋の飲み屋にいった。洒落た雰囲気なんて全くない昔から馴染みの安い居酒屋だ
けど、好きなだけ飲んで好きなだけ食べて、同僚の誕生日を祝うにはちょうどいい喧騒と手軽さと値段だった。
 「はー、食ったし飲んだー。自分の部屋戻るの面倒じゃね?」
 「はぁ?明日も仕事なんだから帰るよ。」
 「いーじゃん、新橋の仮眠室使おうぜ。山手と横須賀はいないだろ?」
 「いないはずだけど。ここ、ベッド一個しかないよ。」
 「オレ、今日誕生日のお祝いだから。」
 「僕が床で寝るわけ?」
 「冗談だよ。あのベッド他の休憩室より大きめだし、二人寝れるだろ?」
 こともなげに言う酔っ払ったジュニアのお誘いは、京浜東北にはたまらなく甘美なものだった。何をしようというわけで
はないけれど、同じベッドで寝るなんてチャンスは、今を逃したら何十年も巡ってこないだろう。
 「しょうがないなぁ。」
 「あそこなら駅から近いし、明日も楽じゃん。」
 鼻歌を歌いながら上機嫌に歩くジュニアと並んで見上げる夜の空に星は見えなかった。京浜東北はそんな当たり前
のことが妙に冴え冴えと感じられた。酔っ払っているからだとわかっているけれど、まるで特別なことのように感じた。二
人で歩く特別な夜だった。










 
 結局渡せなかったプレゼントは京浜東北のカバンの中に包装されたまま入っている。京浜東北はこれを自分の机に
隠すつもりでいるけれど、包装紙が痛まないうちに渡せる日はいつか来るのだろうか?
 それはわからないけれど、ジュニアは今無防備にベッドで眠っている。興奮して眠れない京浜東北を横目にうらやまし
いことだった。
 明日の仕事のために、と自分に言い聞かせて京浜東北もベッドにもぐりこむ。小さなベッドに男二人で眠るのはたま
にあることだけれど、ジュニアのときは特別だった。ジュニアの方を向いて寝ると意識してしまうからと背をあわせるよう
にしてベッドに入ったのだけれど、体温を背中で感じてしまっては同じこと。
 それでも疲れと酒で眠くなった京浜東北はゆっくりと眠りに落ちていく。
 背中が温かいのが途方もないほど気持ちよかった。







 朝、目覚ましの音でジュニアよりも先に起きた京浜東北は目覚ましを止めてジュニアの様子を探る。まだ熟睡してい
るジュニアは無防備に京浜東北の方を向いてくっつくようにして眠っていた。
 京浜東北は寝相の振りをしてジュニアの体に手を回す。眠っているジュニアは子供のように体温が高く、すーすーと
規則正しく小さく聞こえる寝息も子供のようだった。
 スヌーズ機能でもう一度携帯の目覚ましがなる5分後までこうしていようと、京浜東北は少し強くジュニアを抱きしめ
る。心地よさに、京浜東北も二度寝の幸せに落ちていった。









 結局何もなく終わった朝の後、京浜東北は自室で思い切ってプレゼントの包装紙を開けた。大切にとっておくつもりだ
ったけれど、品川駅でふとあるものを見て気が変わったのだった。
 男女どちらでも使うような、淡い青のレターセットを買ってきた京浜東北はそれにパソコンで文章を印刷した。
 京浜東北の筆跡はジュニアにバレているので手書きはできない。性別不明な文章を心がけたラブレターは、レターセ
ットと相まってジュニアの取り方一つのすてきなものが仕上がった。
 ジュニアの住所を書いて切手を貼ったら、あとは品川駅のポストに投函するだけだ。ジュニアの住所を知っている時
点で内部の人間だろうとはジュニアにも用意に想像が付くだろうけれど、だれか特定できるような情報は手紙に何一つ
かかれていない。気持ち悪いととられかねないラブレターだ。

 翌日、誕生日を祝う言葉と、さりげない告白を盛り込んだ手紙を、京浜東北は躊躇なくポストに投函した。
 ジュニアはその手紙を、告白されたと触れ回るだろうか。それともこっそりと隠しておくだろうか。それとも無記名の手
紙は怖いからと処分するだろうか。
 優しいジュニアなら一度は目を通すだろうと踏んでだされた手紙の主が自分だと、京浜東北はいつか彼に伝えるつも
りだった。いつかはわからないけれど。
 「うん、これで一応あのペンをプレゼントできたな。」
 われながら気持ち悪いね、なんてつぶやきながら、京浜東北はかなり満足していた。いま品川には京浜東北しかいな
い。人にあふれてごったかえす駅の中で、京浜東北はひとりにまにまと笑った。






























(09.9.6 リクエストです。よろしければお受け取りください・・・!)