日比谷が千代田に手を出した、といううわさを聞いたので銀座は驚いた。どちらがどちらに手を出したか知らないが、
どちらもネコっぽそうなのに。
怪しげなうわさを聞いて、銀座は丸の内を抱きたくなったので携帯で呼び寄せた。どんなに大きくなっても可愛い子犬の
ような丸の内は尻尾を振っていそいそと銀座の元に走ってくる。
「急に呼び出してごめんね。仕事は大丈夫?」
「あったけど、別にいいんだぞ!銀座が一番の仕事だからな!」
(ああ、かわいいなぁ。癒されるなぁ。)
銀座は丸の内を手招きし、椅子の前に座らせる。抵抗なく床にひざをついた丸の内が撫でやすいところにきたので、銀
座はなでなでした。ネコならばぐるぐると咽喉を鳴らしそうな顔で丸の内は頭を揺らす。そうすると、綺麗な黒髪がさらさ
らと流れた。
「ねえ、丸の内は聞いた?日比谷の話。」
どこから仕入れてくるのか知らないが、丸の内は意外と情報通で、しかもその話を仔細漏らさず銀座に話した。そこ
に目をつけて通常ならば忌み嫌われる役目を丸の内に与えたのは銀座で、諾々と従ったのは丸の内であり。それでも
丸の内が他路線に嫌われず愛されているところは彼自身の人徳であろう。
「知ってるんだぞ!でも二人は別に付き合ってないらしいぞ。」
「ふうん、そう。じゃああんまり触れない方がいいのかな?」
「千代が、体が痛いって話してたのを聞いたぞ!」
「へえ。」
丸の内は頭がいいのに、子供のような単語の話し方をする。そこがまた可愛いのだがどうにも要領をえない。銀座は
丸の内の頭をときおり撫でて、首や顔に触れながらのんびりと問いただす。
「どうなんだろね。どっちがどっちなのかな?」
「日比谷が男役っぽいぞ。」
「そう。へぇ、あの日比谷がね。バイパス路線に手を出すような子だったなんて。」
銀座はメトロ内で誰が誰に手を出そうが何をしようが基本構わない。他社の路線に至っては、情報は把握したいもの
の何がどうなろうともっとどうでもいい。
「二人がうまくいくといいんだけどね。」
「そうだな!」
銀座が丸の内のネクタイをひっぱると、丸の内は少し顔を上げた。銀座はネクタイをはずし、カッターシャツのボタン
上二つをはずす。それよりも下のボタンには手が届かなかった。
「なんかね。僕もしたくなっちゃった。」
ふふふ、と笑う銀座は花のように柔らかい。丸の内はそれがとても好きだった。昔のようなとげをもう見せない銀座が
好きだった。
「うん。銀座がしたいときはオレもしたいんだぞ!」
「丸の内はいい子だね。」
銀座の傷だらけの手が丸の内の顔を撫でる。ささくれが頬をかすって痛いときもあるのだけれど、目立つ傷ができな
い限り丸の内は抵抗しない。傷をつけないように撫でることもできるのに強く撫でるときは、銀座の心が少しストレスを
感じたときだと知っていたから、されるがままにあまんじる。
「オレは銀座が大好きなんだぞ!」
「うん、僕も丸の内を愛してるよ。」
「そういえば、丸の内のバイパス路線は有楽町と副都心だけど、どう?丸の内は日比谷みたいな気持ちにならない
の?」
ベッドの中で丸の内にくっつきながら、銀座はピロートークに他の男の名前を出す。
「ならないんだぞ!銀座一筋なんだからな。」
「そう、嬉しいな。」
「銀座はならないのか?」
「半蔵門に?うーん、可愛いとは思うけど、丸の内に対してみたいな気持ちはないなぁ。」
「オレもおんなじ気持ちなんだぞ。」
「そうだね、おんなじだね。」
丸の内を抱きしめながら、銀座はほの暗い感情が心のうごめくのを感じていた。有楽町や副都心の肌は、丸の内と
同じように傷がない綺麗な若い肌だろう。このささくれだった手や傷だらけ体を好きだと丸の内はいってくれるけれど、
それは他を知らないからだけではないか、もし他を知ってしまったらどこかへ逃げてしまうのではないだろうか。
「・・ねえ、丸の内。」
「なんだ?」
「浮気、しないでね。もし丸の内が浮気したら相手が誰でも、きっと僕はその子をいじめていじめ倒して、とんでもなく
酷いこともして、ぼろぼろにしてから殺しちゃうもの。」
銀座は丸の内の顔を見られなかったから、胸にぎゅっと押し付けながら言った。祈りと呪いの入り混じった醜い嫉妬
の氾濫だった。
「心配することないんだぞ!オレには銀座しかいないんだから!」
腕の中から聞こえる丸の内の声はくぐもっている。けれど、丸の内が銀座の背に回した腕の力はいつもより強くて、慰
められているのだと銀座にも伝わる。
「・・・ごめんね、年上なのにこんなこといって。」
「銀座はオレには弱音を吐くといいんだぞ!銀座はがんばってるんだから!」
仕事はがんばっているけどね、私生活はがんばりようがないじゃない?なんて銀座は丸の内にはいえなかった。銀座
のためになんでも与えてくれる丸の内の頑張りをわかっているから、そんなことはいえない。
「僕は君がいたから今にいられるんだよ。」
銀座のこの言葉ははじめてのものではない。丸の内を抱いた夜から、何度も何度も、まるで丸の内を縛るかのように
いい続けた、使い古された言葉だった。
「君がいなくなったら、僕はどうしていいかわからないんだ。」
銀座は泣いているのかもしれないと丸の内は思った。けれど彼のプライドの高さを知る丸の内はなにもしないし何も
いわない。
「お昼寝しよう、銀座。」
それから黙ってしまった丸の内に合わせて銀座も目を閉じる。目を閉じれば嫌な想像の光景ばかりが浮かんだ。そ
れを追い払うように丸の内を抱きしめる。丸の内はその腕の中でじっとしていた。腕の傷が体に刺さってどんなに痛くて
も、銀座のためにじっとしていた。
(10月19日)