銀座→西武池袋
雰囲気小説です。

春風








 会長を失った悲しみから立ち直るどころか立ち上がれないような状況のとき、銀座が一人でふらりと所沢にやってき
たので西武池袋は目を見開いて驚いた。
 「このたびはお悔やみ申し上げます。」
 深々と下げた頭には何が詰まっているのだろう。銀座が挨拶にきた、その事実さえも会長の死を認識させるようで、
自然わきあがる涙を止められない西武池袋は制服の裾で目をぬぐった。
 「ご焼香したいんだけど、本社でよかったかな?」
 「・・・いいわけない。が、ご遺影くらいは拝ませてやろう。」
 「ああ、やっぱり。じゃあこれ、ご挨拶のお菓子。今日は関東を走る者同士としてお気持ちだけ。」
 銀座の老舗和菓子屋の紙袋を渡されて、西武池袋は素直に受け取った。
「貢物とは良い心がけだ、墓前に供えておいてやろう。」
ふん、と目をそらした銀座は人のよさそうな面をかぶって冷たい心で眺める。
「それは君に食べてもらおうと思って持ってきたんだ。食べてみて、美味しいよ?」
「ばかいえ会長に」
「会長さん、甘いものお好きじゃなかったんでしょ?」
言葉をさえぎった銀座の強い語気に一瞬場を飲まれた西武池袋は手をぎゅっとにぎった。無意識の行動だったが銀座
はそれを目ざとくみつける。
 「君は嫌いじゃなかったでしょ、甘いもの。だからどうぞ」
 下ろされたままの西武池袋の腕を掴みむりやり紙袋を持たせると、銀座はもう一度にっこりと笑って、西武池袋の手
を自分の手でぎゅっとにぎりしめた。二人の体温が交わる。
 「それじゃあ、またね」
 西武池袋が紙袋を押し返す前に銀座は後ろを向いて足早に歩き始めた。
 「・・・銀座!」
 聞こえない振りをして銀座はずんずんと歩く。後ろから西武池袋が追ってくるならば追いつける早さで。
 待たせていた車に乗り込むとき、銀座は半身を後ろに向けて西武池袋を確認した。理解不能といった顔で紙袋を握
り締めて、何かいいたそうに口を動かしている。
 銀座が思わず漏らした笑いを、運転手は聞かなかった振りをした。
 「いいよ、だして。」
銀座はもう振り向かず、窓から見える所沢駅に視線を移した。
 (次に来るのはいつになるだろうか。)
 銀座は獲物と時機をじっと待っている。最高の光景を見るために。







 株式改ざんが明らかになって上場を廃止され、いとしい会長の忘れ形見も取り上げられた西武池袋に会いに銀座は
ふらりとやってきた。銀座は彼に会いたかった。何十年も前、会長を失ってもまだなお自分を睨んだ西武池袋が最後の
宝物を手放してどんな顔をしているのか見たかったのだ。
 「このたびは、大変なことで。」
 応接室に通されていた銀座はソファから立ち上がって、応接室のドアを開けて入ってきた西武池袋に軽く頭を下げ
た。
 「貴様がここにくるとろくなことがない。」
 憔悴しきった西武池袋の目元には黒いくまが浮かんでいた。以前の涙に濡れた目元に比べると色っぽさは少ない
が、現状仕事が辛いことは見て取れた。座れと西武池袋にすすめられて銀座はソファに再び腰を下ろす。
 そのとき、女性社員がコーヒーを持って入ってきた。銀座が軽くお礼をいうと、彼女は少し照れてすぐに応接間を出て
行った。銀座はすぐに西武池袋に意識を戻す。
 「僕が来るからろくなことがないんじゃなくて、ろくでもないことがおきたら僕が来るんだよ。」
 ふふふと笑う銀座を、西武池袋は暗く疲れた目で見た。返す言葉もないといった風情で力なくため息をつく西武池袋
の姿は銀座から見ても綺麗だった。
 「なんなのだ貴様は・・・嘲りにきたのか?」
 「うーん、ちょっと違うかな?」
 コーヒーにはあまりこだわらない銀座は、コーヒーメーカーで長いこと保温にされて風味の落ちたコーヒーでも特段気
にせず口をつけゆっくりと飲む。
 余裕のある銀座に対して西武池袋はソファに座っているのも限界といった姿でコーヒーも手にしない。
 「今、お前を構ってやる時間がないんだ。」
 「おや、珍しいね。君が弱音だなんて。」
 「嫌味も多分に混ぜたんだがな。」
 白く細い指を何度も組み替えて、その刺激で今にも思考をシャットアウトしようとする眠気と戦う西武池袋は、足も一
度組み替えた。
 「なんだっていい、早く用件を言ってくれ。」
 弱弱しい西武池袋の態度は銀座の望むものだった。
 「今回のことは本当に大変だったね。一連の事件のせいで堤家は表立った事業から離れるんでしょう?」
 「・・・そうだ。納得のいかないことではあるがな。」
 「怒ってるの?」
 「当たり前だ。会長のご恩を忘れてよそものを代表にすえるなど・・・!」
 感情が高ぶり机をだん!と叩いた西武池袋は、一対一の場で感情をあらわにしたことを恥じて顔を背けた。その横
顔は泣きそうだった。
銀座はおかしさを押さえ切れなくて声が上ずってしまうのをわかっていて会話を続ける。
 「ばかだなぁ、初代にだって政治の道具にされたのにそんなに愛しちゃうなんて。でも、そんなばかなところ嫌いじゃな
いよ?」
「貴様・・・貴様も早川を同様に言われれば気分を害しよう。」
 穏やかな言葉で続きを制する西武池袋をわかっていながら銀座は続ける。銀座のいいたいことはまだ終わっていな
い。最後まで言い切らなくてはわざわざ来た意味がない。
 「・・・初代の堤がいなくなっても、君には妾腹の二代目がいたものね。でも、残念だ、彼はもともと鉄道業に興味が薄
かった。これでもう君に興味を持つことはないだろうね。」
 「やめろ!」



 彼の愛する会長が死んだときのように、息の仕方も忘れたような衝撃を受けたと目に見えてわかるわけではない。

「ああ、やっと君も僕とおんなじところにきてくれた。」
 西武池袋は涙に濡れた目で銀座を睨んだけれど、銀座はにやにやと笑うばかりでなにもこたえていなかった。
 「・・・でも、君には仲間がいるじゃない。大好きな会長サマが彼岸にいったときも、上場廃止の今も。でも、僕は一人
ぼっちだった。」
 コーヒーはぬるくなっている。西武池袋はようやく口をつけて少しだけ飲んだ、気持ちを落ち着かせるように。
 「君も、一人ぼっちになったらいいのに。そうしたら本当におんなじところにいけるのに。」
 銀座は西武池袋にはわからない寂しさを抱えている。それは、ほとんどの路線では理解してやれない類のものだ。だ
から、西武池袋もどうにも対処のしようがなくて頭を抱える。
なぜ、この男は接続もない西武池袋に共通項を求めるのかわからないのだ。今も直系をトップにすえる東武は別とし
て、東急とか京急とか、同じ池袋でも社名すら失った東上がいるのに、なぜ。
 「・・・貴様には仲間がおろう!早く立ち去れ!」
 西武池袋はもう銀座と同じ空気を吸うのも嫌だった。銀座と西武池袋の共通項など見つかるはずもないのだから。
 「嫌だよ。僕は君とお話したいんだもの。」
 西武池袋は心の底から嫌そうな顔をした。銀座をおざなりに扱えないことは事実なのだ。
「なぜ・・・!」
苛立つ西武池袋を見て銀座は心が落ち着くのを感じた。
 「なんでだろうね、僕もよくわからないんだけど。」
 銀座は弱ったとき、いつもあの頃を思い出す。早川さんから引き離され、親しい社員とすらも離されて五島の手に渡っ
たとき、絶望以外に何か手元にあっただろうか。まだ、銀座も日比谷も生まれていなくて、誰にも頼れなかった。今の西
武池袋ほどの力もなかった。
 「これが恋ってやつかなぁ?」
 カップを片手に小首をかしげる銀座は少女のような柔らかい空気をまとっていた。それと対照的に、追い詰められた
西武池袋は化け物を見るような目で銀座を見る。視線を話したらとって食われてしまうかのように、一挙一動を追う。銀
座が本当に恋しているわけがないと西武池袋はわかっている。それが人を揺さぶるための技術だと。
 「君が同じ地獄にきてくれたら、少しだけ救われるんだ。」
 銀座がにこにこと話し、西武池袋は深くため息をついた。銀座は自分の口から出た真意にわずかだが驚いた。彼を
道連れにと望むのはなぜなのか、それは銀座にもわからない。
 「・・・電気が止められたとき、あのとき貴様と同じ話をしていたらきっと一緒になれただろうな。」
 だからどうだというのだ、と西武池袋は思った。西武池袋は銀座と同じ地獄に落ちてやることは出来ない。彼らの全て
はかみ合わない、営団の有楽町を介してしか彼らは全うなコミュニケーションを取れない。それはきっとずっと変わらな
い。もし、西武鉄道がなくなってしまうときがきたとして、また同じように会話してもきっと何も進展しない。
 銀座は狩の終了を悟った。今回はもう西武池袋を引きずりこむことはできないのだと。悲しんで苦しんで泣いて壊れ
てしまう美貌の男を見たかったのに。
「・・・また、何かのときに来るね。」
いつの間にかコーヒーを飲みきっていた銀座は、持ってきた手土産をいまさらながら机に置くとそのまま部屋を出ようと
する。
「おい!」
「お見送りはいいよ。ここでさようなら。」
 「・・・二度と来るな!」
 「あはは。」
 西武池袋の怒声を背に受けて銀座はドアを閉めた。前のときと同じ、西武池袋は銀座を追わない。銀座は追い詰め
た獲物にあと一歩のところで逃した悔しさで下唇をかんだが、それと同じくらい気分が上昇するのを感じていた。次が楽
しみで仕方ない。彼がまた大切なものを失う次の機会が。
 「持ったはいいけど、いずれは失ってしまうんだよねえ。」
 西武本社の桜の木がつぼみを付け始めていた。春になれば見事に咲く並木を眺めながら、髪型を乱す春風にされる
がままにされていた。





















('09.3.14)