タイトルまんまの表現があるのでご注意下さい。


 君の首を絞める夢をみた















 
 役所の窓口係のような腕カバー
 着古したスラックス
 よれよれになったワイシャツ
 茶色い髪をした昔の西武池袋
 大好きだった彼はもういない。
 もういないことに、耐えられなかった。


 「私は明日から西武池袋線となる。武蔵野鉄道ではなくなるんだ。」
 自分から去り行く武蔵野鉄道の、ワイシャツから除く白い咽喉をよく覚えている。


 
 東上の記憶にある最後の武蔵野鉄道は驚愕してもがいている姿だ。陸に打ち上げられた魚のように哀れに口を動か
し、必死に空気を吸い込もうとしていた。目を大きく見開いて涙を流していた。怒っていたのか、それよりももっと単純な
生命維持活動として必死に生にしがみついていたのかもしれない。そのとき、東上は自分達が鉄道であるのだと共に
生身の人間であることを強烈に感じた。手のひらから伝わる武蔵野鉄道の体温、弱弱しく抵抗を見せる爪が皮膚につ
きたてられる痛み、あの場にあった全てをはっきりと思い出せるほど、濃密な時間。
 腕を放したとき、武蔵野鉄道は盛大に息を吸い込み、そしてむせて、押し倒されたまま抗うことも出来ずに必死に空
気を体内に取り入れていた。東上を罵ることも出来ず押しのけることも出来ずに、放心状態で涙を垂れ流したまま東上
を見上げていた。
 「東上、」
 そのとき、武蔵野鉄道は何も言わなかった。ゆっくりと体を起こして東上を正面から見据えた武蔵野鉄道がその後な
んといったのか思い出せない。東上の記憶はそこで途切れてしまっていて、どうやって宿舎に帰ったのか定かでないの
だ。それは、半世紀以上に及ぶ時間の経過が脳から記憶をこぼれさせていったのか、それともなんらかの理由で忘れ
てしまったのか、きっと後者でないだろうかと東上は予想している。
 あの日から、東上はあれほど愛していた武蔵野鉄道に二度と会っていないのだから。






 雨がザァザァと降っている音を聞きながら、一眠りをしている間に嫌なことを思い出し東上はどうしようもない後悔に襲
われていた。後悔はいつものことなのだが、雨が降っているせいか頭が痛い。偏頭痛もちというわけでもないのに、が
んがんと頭を突き刺す痛みの原因がわからない。東上は水でも飲もうかと上半身を起こそうとして、腕に西武池袋の頭
が乗っているのに気付いた。ゆっくりと腕を引き抜き、その顔を眺める。おしげもなくさらされた白い裸体は無駄な脂肪
もなく、かといって筋肉もあまりなく華奢な作りをしている。東上がかつて愛した武蔵野鉄道より少ししっかりとしたけれ
ど、ほとんど変わっていない。
(あのとき止めを刺しときゃよかったんだ。そうすりゃ秩鉄を奪われることも、こうして振り回されることもなかったんだ。)
 西武池袋は無防備に前髪を散らして仰向けに眠っている。まぶたを閉じてもわかる造作の美しさは東上のコンプレッ
クスを刺激する。冷たく決め細やかなその肌にそっと手を這わせ、ゆっくりと咽喉に手を近づけていく。
 頭がガンガンと痛い。思考力を奪うような、鈍く規則的な痛みは東上の頭の中に充満していく。雨が降る音さえ頭に響
く。
 咽喉仏に手のひらを当てても西武池袋はみじろぎ一つしなかった。カーテンからすける街頭に照らされて白い咽喉は
余計華奢に見える。無駄な肉のない、細い体は東上の手にかかればきっと簡単に折れてしまうだろう。咽喉に当てた
手のひらに力をこめることはできず、東上はそのまま西武池袋の前髪を下ろしてやった。
 片目を隠した彼を見て東上は安心した、武蔵野の薄茶色の澄んだ目に糾弾されることは耐え難い。あの金色の、堤
に全てを捧げた目で見てくれればいいのに、なぜか西武池袋はカラーコンタクトを外した両目で東上をまっすぐに見る。
何も見ないといったはずのその左目で東上を見る瞬間、東上はなぜか申し訳なくなった。自らの会長を西武池袋とはま
た違う形で大切しているからかもしれないし、そうでもないかもしれない。
 ただ、西武池袋が眠っていると東上は安心して隣にいられた。浅い寝息が繰り返される音を聞きながら東上は眠れ
ず、西武池袋の手を握る。ぎゅっと力を入れれば折れてしまいそうな細い手首に、そっと力をこめていた。







 甘くけだるい疲れに負けて眠っていた西武池袋は嫌な夢を見て目を覚ました。東上の休憩室なんて、ろくでもないボ
ロボロの仮眠用ベッドしかないところでセックスした上に眠ってしまったせいだとぼやきながら体を起こそうとすると、胸
の上に東上の腕が載っているのに気付いた。重いのでよけると、何事かいっていたか、特に起きるそぶりもないのでそ
のまま横によけておいた。
 部屋は薄暗く、ぎりぎり顔が見えるくらいで雨の音がザァザァと聞こえる。時計を確認すれば起きなければいけない時
間まであと45分ある。西武池袋はもぞもぞと布団の中を移動し、東上に跨った。全裸の東上の肌は半世紀以上前か
ら何にも変わらない若い肌をしていて気持ちいい。顔にかかった黒くて長めの前髪をよけてやってから、西武池袋は東
上の首にそっと両手を添えた。呼吸のリズムが手のひらに伝わる。空気を吸い、空気を吐く、規則正しい寝息は西武
池袋を興奮させた。心臓がどくんとはねた勢いで西武池袋は手を強く押してしまい、慌てて離す。幸い、東上はまったく
気付かずに寝息を立てているので安心して手をあてた。
 

 半世紀以上昔のあの夜、東上に首を絞められた武蔵野鉄道は死んで西武池袋になった。武蔵野鉄道であり続けた
上で会長に魂を捧げていたらきっと東上は納得しなかったから、あれはちょうどいい儀式だったと西武池袋は思ってい
る。東上は自分で思っているよりも強く西武池袋を絞めなかったし、西武池袋も多分に演技していた。
 だから、西武池袋は東上が西武池袋の首を絞めたあとのことを忘れてしまったことが不思議で仕方ない。空気を勢
いよく吸い込んだ西武池袋は、苦しげな見た目ほど苦しんでおらず、明瞭に意識を保っていたからよく覚えている。
 「あの後、私に首を絞められたお前は何にも生まれ変われなかったから、記憶を失ってしまったのかな。」
 東上は何も答えずすやすやと眠っている。その寝息が心地いい。まだ30分以上時間があるものだから、西武池袋は
東上の腕を枕にしてもう一度目を閉じた。眠れそうにはなかったが、裸の皮膚がくっつきあう生ぬるい温かさと心音は
西武池袋を浅いまどろみに引きずり込む。
 
 目が覚めれば黙って服をきて、何事も無かったかのように部屋を出ていつものように罵詈雑言を交わす二人の寝息
はザァザァとなる雨にまぎれて外には聞こえなかった。
































(4月25日 タイトルは鏡音リンの名曲『炉心融解』より。)