西武池袋は廊下の隅においてあるシュレッダーの前に立ち尽くしていた。 シュレッダーの音はなんて落ち着くんだろう。響く低音、変わらないリズム。定期的に寸断する紙類さえ薄く開いた口に 入れてあげればグォングォンと可愛い声で鳴き続ける。 「たくさん食べて、大きくおなり。」 白いプラスチックの体を優しく撫でてやった。けれど、この愛しい機械はお腹がいっぱいになってしまうと全て吐き出し てしまうのだ。その排泄物は細かく裁断されていてちっとも汚くない。見たくないものや不要なものを、カラフルな紙の切 れ端にしてしまう。まるで小さな魔法のようだ。グォングォン、定期的なリズム。 フルを告げる赤いランプが点灯したので受け皿を取り出し、そこにかぶせてあったゴミ袋を取り外した。『業務用』とか かれた可燃袋にいっぱいにつまった写真だったものたち、たくさんのお食事をし終えたシュレッダーはほんのりと温か い。 取り外したゴミ袋をしっかりと固く結んで廊下の端に置くと、空いた受け皿に新しいゴミ袋をかけた。それをセットする とシュレッダーはまたお腹がすいたというので、再び写真を差し込んでいく。厚手のそれを少し食べにくいかもしれない ので、書類を差し込むときよりも少ない枚数でゆっくりと与えていく。 時折「圧縮中」と黄色いランプが点灯する。人でいえばきっと水を飲んで一息ついている状態だろうか、少し待てばま たいらないものを食べてくれる。捨てる勇気がなくてずっと机の片隅にしまっていたのに、誰にもわからない裁断された 紙切れになってしまうのかと思うと、なぜかシュレッダーにいれることはできた大切な写真たち。 椅子に座ってシュレッダーに向かい合いながらぼんやりとさまざまなことを考える。窓から見える一軒屋、今まで気付 かなかったけれど、派手な黄色や赤の花が咲いていて、遠目で見ると古い家を華やかにしていて調和が取れている。 和風な家なのに、トロピカルな花、少し沖縄っぽい。 行ったことのない沖縄の青い空と海を想像していたのに、写真が少なくなるに連れて、どうしても目の前のことを考え てしまう。最後の方に残しておいた彼一人で写っている写真たち。彼にカメラを向けるほど愛していた事実、その写真を みて微笑んでしまうほど愛している事実。数年前、この本社前の桜を背景に取った彼は緩みきった顔で微笑んでいた。 部屋でとった、Tシャツにトランクス一枚なんて写真もあった。どれも彼は少しずつ違う、でも優しい顔をしていた。 日付はいずれも一年以上前だ。ここ最近、彼はカメラを向けても笑ってくれなくなってしまった。カメラすら嫌がった。 二人でいる時間を疎んでいた。それから、写真を撮らなくなった。大好き、と表情で訴えかけてくる写真しかいらなかっ たのだ。 延々と続いたシュレッダー作業はついに最後の一枚になった。その一枚は改心の出来で、引き伸ばして額縁に飾っ ておきたいくらいだ。封筒に入れて糊をして、いつか思い出になって昔話に出来るまでどこかにしまっておきたいくらい、 もしくは写真家としての自分の意外な才能を誇示するために誰かに渡したいくらいの一枚だ。 それをじっくりと眺めて、写真に写った彼の間の抜けた優しい顔を忘れないように焼き付けてからシュレッダーに入れ た。 ゴォンゴォンと短い音のあと、シュレッダーは大人しくなった。シュレッダーのお腹は写真だけでは一杯にならなかった ので、この後何も知らない社員がきて、いらなくなった書類を裁断するのだろう。そうすれば写真の山は書類にまぎれ て誰にも知られることなくゴミ捨て場へと運ばれて、最後は焼却炉で燃えて、温水プールを温めるための熱量になった りするのだ。 西武池袋は大きなため息をついてから、シュレッダー前に置いたパイプ椅子を片付けるために持ち上げた。残業中 こっそりと有楽町を会社に招きいれて座らせた椅子は、今はもう西武池袋に宛がわれた事務室の片隅に立てかけられ るだけだった。それすらも、ある日事務の女性が気を利かせてどこかへしまってくれるのだろう。そうやってひとつひと つ失いながら、西武池袋は置いていかれた寂しさが裁断されずに相変わらず自分の手元にあることを嘆いたのだっ た。 (2010年5月16日) 私の勤務先では廊下にシュレッダーが置いてあります。 節約のために廊下の電気はつけないので夜でも真っ暗で、 まして夕暮れ時なんてとても物寂しいものです。 |