吾野駅に西武池袋がくることはあまりない。もともと池袋―飯能間がメインなのだから仕方ないのはわかっている。そ れでも同じ系統でありながら日中なかなか会えないのは寂しくて、それでももしかしたら会えるかも?なんて期待をこめ て西武秩父はよく吾野駅にきては何もない吾野駅のホームのベンチに座り、一応何があってもいいように携帯をにぎり しめながら山を見た。 何年も何十年も変わらない景色。自分達が変わらないように、ここの景色もここの人たちも変わらない。メンバーは変 わっても血は繋がっていて、共同体としていえばそれは「変わらない」といえるだろう。 だから西武秩父は瞬きの合間に世界が変わってしまいそうな池袋や新宿に拠点を置くメイン路線二人を心から尊敬 していた。他の路線だって西武秩父よりは都会なのだが、それでもやっぱり二人の『都会』とは違うと思うのだ。 「姉さん。」 西武池袋はびっくりして振り向いた。家事のために前髪をヘアピンで留めると綺麗な顔がよく見える。すっぴんの西武 池袋ははぁ?といった。 「俺さあ、西武池袋のこと姉さんって呼びたかったんだよねー。」 椅子に座って、いかにも体育会系高校生といった風に無邪気に見えるように心がけて笑う。他意を読み取られないよ うに。 「はあ・・・じゃああれか、新宿は兄さんか。」 「そう呼んでも良いんだけど、でも西武池袋だけが女の人だから特別なんだって。だから時々『姉さん』って呼んでもい い?」 「確かに姉だから構わんが・・・お前が開業して何十年もたつのに今更言われるとなんだか奇妙だな。」 すぐに食器洗いに戻った西武池袋は西武秩父に背を向けて作業を続けている。西武秩父はおつかれの西武池袋の ために紅茶でも入れようかとやかんに水を入れて火にかけた。食洗機に入れてしまえば西武池袋の作業は終わりだか らもうそんなに時間はかからないだろう。茶葉を使うのは面倒なのでティーバッグを取り出しマグカップに入れてテーブ ルに並べた。 普段は大所帯でうるさいリビングだが、食事が終わればみな自分の部屋にはけていく。残っているのは片付け当番く らいのもので、西武池袋が当番のとき西武秩父は必ずくっついて残るようにしていた。別になんの話をするでもない、 大体仕事の話しかない。 そもそも、西武池袋から趣味の話だとか色恋ごとの話だとか、仕事以外の話を聞いたことがない。全く浮ついたところ のない人なので、西武秩父もあせることなく今まで「弟」という特権的な座に甘んじてきてしまった。その地位は有難くも あり、一線を越えさせぬ厄介なものである。仮に池袋が新宿に恋をしたり、国分寺が拝島に恋をしたとしても何の問題 もないというのに、自分達の間には血縁という有難くも厄介なものが横たわっている。 こうして西武池袋のために紅茶を用意し、夜二人きりで会話を楽しめるのは血縁あってのことなのだが、西武秩父は もどかしかった。まだまだ若い彼は西武池袋と共に歩めればそれでいいなど達観したことはとても考えられない。体も 心も全て自分のものにして、それからまだ手に入れていないものはないだろうかと確認しなければ気がすまないのだ。 「西武池袋ってさぁ、今度の休みの日何すんの?」 それは世間話の前後の当然の流れから出た質問であったが、西武秩父は全身全霊を西武池袋の回答に傾けた。 「そうだなー・・・特にこれといっていつも考えていないのだが、普段手の届かないところの掃除をしたりかな。」 「ふーん。家のことだけ?」 「だいたいな。」 『だいたい』以外のことがきになった。これだけ美人なのだから、男の一人や二人手のひらで転がしていてもおかしく はなさそうなのに。 「デートとかしないの?」 狙った直球の質問は弟の立場があればこそだ。 「せんな。」 西武池袋は食洗機に食器を入れる手を止めずに淡々と答えた。誘われない女の僻みが一切ない声の響きから、『デ ートをしない日常』を自分で選択しているのだと西武秩父は彼なりに読んだ。おそらく、誘う男はいるが西武池袋が断る のだろう。誘う男はいくらでも想像できた、営団の連中、国鉄の連中、他私鉄の面々、もしかしたら西武池袋に声をか ける男性客もいるのかもしれない。 西武池袋が一通りの片付けを終え、タオルで手を拭きながらキッチンから出てきたので、西武秩父はマグカップを渡 した。 「どーぞ。」 「すまんな。」 西武池袋はいつも淡々としている。彼女の日常は西武有楽町が生まれてからほとんど代わらない。家族のために尽 くし会社のために尽くし、ただそれだけである。 自己犠牲のようにみえる彼女は幸福なのか、それはまだ不惑を越えたばかりの西武秩父からみたら、幸せだと思え なかった。会長が戻ってくるのが本当の幸福なのだろう。しかし、それが叶わぬ夢である以上、実現可能なレベルで西 武池袋は満たされるべきだと西武秩父は思う。そしてそれはきわめて傲慢な思い上がりである。 西武池袋がベッドに入り込んで布団を被ってから部屋のドアをノックする音が聞こえて、しぶしぶ起き上がりドアの鍵 を開けた。 「・・・なに?」 「西武秩父です。」 にこにこと笑う西武秩父は自分の枕を持っていて、西武池袋はため息をついてから部屋の中に促した。怖い夢をみ たとき西武池袋の部屋に来るのは池袋系の習慣みたいなもので、西武池袋は警戒心などかけらもなく西武秩父を部 屋にいれる。 「まったく・・・西武有楽町はともかく、貴様は姿も大人だし実際にいい年だというのに・・・。」 ぶつぶつ文句をいう西武池袋の苦情は西武秩父の耳に入らない。西武秩父は西武池袋の部屋で眠る時間が大好き で、大好きで、そのためなら怖い夢を見たと嘘をつくことに罪悪感なんてないのだ。 西武池袋のベッドに西武秩父がもぐりこむと西武池袋は電気を消した。豆電球一つだけ残して部屋が真っ暗にならな いようにするのは、怖い夢をみたという西武秩父へと気遣いだと知っているから、本当は真っ暗の中で眠りたい西武池 袋にちょっと悪いなと西武秩父は笑う。 互いの体温が伝い合うような距離で、西武池袋はすぐに静かで規則的な寝息を立て始めたので、西武秩父は西武池 袋にちょっとずつ近寄る。こうしてくっついて眠れるだけで満足できればいいのに、大人になってしまった西武秩父の体 はそれではもう物足りない。 ふんわりといい匂いのする体にゆっくりと乗っても西武池袋は目を覚まさない。どっかでうとうと昼寝されたら西武池袋 を狙っている連中がどうするか、と想像しただけで不安になった。 柔らかい頬に手をあてる。老いを恐れる西武池袋が丁寧に手入れをする顔はしっとりと手のひらにはりつく。時間を かけて塗りこむ化粧水と乳液が作り出す、西武池袋の美しい肌だ。じっくりとその端整な顔を堪能したあと、パジャマの ボタンを一個ずつ慎重に外していく。木綿のパジャマは生活感に溢れていて、青いコートを優雅にひるがえす作り物じ みた美しさとはちょっと違うけれど、幼い頃から西武池袋と一緒に眠っている西武秩父には気にならない。 ボタンをすべて外し終わると、くっきりと浮き出た鎖骨があわらになり、小振りな乳房が呼吸に合わせて震えていた。 「うー・・・」 びくっと西武秩父は驚き、脱がそうとしたズボンから手を離す。そのあと一分ほど停止したが、西武池袋は寝返りを打 っただけで目を覚まさない。 (はー・・・びびったー。) 横を向いた体を慎重に仰向けに戻し、丁寧に下半身を持ち上げ、皮膚を刺激しないようゆっくりと気をつけながらズ ボンを下ろしていく。その間、西武池袋は静かな寝息を規則的に繰り返していた。 手の平を乳房に当てると心臓の鼓動が伝わってくるが、それが自分の西武池袋の心音なのか自分の心音なのか西 武秩父にはもうよくわからない。部屋中が早鐘のテンポに満たされて急かされる。その中で、西武池袋に気取られぬよ うに全裸にするのは至難の技であったが、幸い眠りが深かったために西武秩父はこの難局を無事に通過することがで きた。 穏やかな寝息を立てる西武池袋が寒くないようにと、部屋には暖房がきいていて西武秩父には暑いくらいだ。そんな 中でパジャマを脱がしていた手は、慎重に次の作業に移行していく。 乳房を手の平で包み、それからゆっくりと力を入れていく。柔らかな脂肪の塊を静かに堪能し、今まで触れられなかっ た禁断の体を少しずつ開いていく。 「・・・うー・・・ん・・」 寝返りを打った西武池袋がうっすらと目を開けた。ほとんど暗闇の部屋の中で西武池袋は状況を飲み込めずにぼん たりとしている。 「・・せいぶちちぶ?」 寒い、と西武池袋は小さな声でいった。掛け布団をひっぱろうと手を伸ばして、布団に手が届かぬことに気付いて先 ほどより目を大きく開いた。暗闇に慣れた西武秩父の目には西武池袋が大きく息を吸うのが見えたので、声を出され ぬよう大きな男の手で西武池袋の口を押さえた。生理的な恐怖感に身をすくめた西武池袋に優しくキスをする。壊れや すい大切なものを取り扱うときのように柔らかく丁寧に抱きしめる。 しばらく身動きせずに西武池袋が落ち着くのを待ってから、西武秩父は先ほどの行動とは裏腹な優しさを小さな甘い 声で耳元で囁く。 「『姉さん』、嫌なら抵抗して。大きな声出して逃げて。そうじゃなきゃ、俺のこと好きなんだって誤解しちゃうよ?」 逃げ道を与えながら、西武秩父は小さく笑っていた。さきに西武池袋を全裸にさせたのは逃げ道を一つ潰すためなの に、わざわざ使えない逃げ道を教える自身の滑稽さ、愚かさ。 「『姉さん。』」 体を震わせる西武池袋がもう抵抗など出来ないことがわかっていて抱いた西武秩父の狡さを、西武秩父自身一番よ くわかっていた。ただ、憧れ恋焦がれ続けた華奢な体に、これは自分のものだと所有権を示すように何度も何度も抱き 続けた。 朝、西武秩父が目を覚ますとベッドの横には西武池袋がいなかった。 あまりのショックに家出でもしたか!?と慌ててキッチンに行ってみれば、いつもどおりのエプロンをした西武池袋が料 理の支度をしていた。 「・・・よかったぁ。」 「なにがだ。おはよう、西武秩父。」 いつもどおりの空気にほっとしたが、そこから西武秩父はいつもと違う行動をとった。火を使っていなことを確認してか らだが、西武池袋に抱きついたのだ。 「おはよう、西武池袋。」 「・・・くっつくな、動きにくい。」 「んー?今日くらいいいじゃない。」 首筋に昨夜の痕跡を見つけて嬉しくなった西武秩父はそこを舌でべろりと舐めた。 「!?何するんだ!」 「えー、だって、昨日のことが夢じゃなかったんだなぁって嬉しくって。」 「許した覚えはないっ!」 西武池袋が必死の形相で西武秩父をにらみつけた。過去にみたことのない怖い顔だったが、西武秩父はもうひるま ない。西武池袋はもう彼の女になったのだから。 「今日のお昼ご飯は吾野で一緒に食べようよ。」 耳に顔を近づけて、わざと息がかかるようにしていってみれば、西武池袋は西武秩父の顔を小さな手で押しのけた。 「調子に乗るな。」 冷ややかな口調に西武秩父も空気を読んでその場は引き下がるが、一言付け加えるのは忘れない。 「12時に吾野駅で待ってるね。」 睨み返した西武池袋は「行かない。」とは言わなかった。 10時頃から吾野で待機している西武秩父は、西武池袋が来る可能性を五分五分と建前で考えている。けれども、本 心をいえば来ると疑っていなかった。来る気がないのなら西武池袋はもっとはっきりと明確に西武秩父を切り捨てるは ずである。それが突き放しきらなかったということは、それが返答ということだ。 12時近く、11:56吾野駅着の電車に見慣れた青いコートがあらわれたとき、西武秩父の胸は高鳴った。 「西武池袋!」 西武秩父を見つけた西武池袋は重い足取りで近づいてくる。事務所の前で待ちながら、西武秩父はもんもんとその 足取りを見つめた。 事務所に入ってドアを閉めるなり、西武秩父は西武池袋を抱きしめた。 「西武池袋っていい匂いするよね。」 「同じシャンプーだが。」 「整髪料が違うからかな。甘い匂いがする。」 「・・・弁当は食べなくていいのか。」 西武池袋の若干苛立った声に、西武秩父はすぐにその体を手放した。 「お茶入れてくるよ。」 さっと流し台の方へ立ち、やかんに水を入れてコンロに火をつける。その間に西武池袋がお弁当の包みを開いて箸 を並べた。 「西武池袋のお弁当はいつも美味しい。」 「私以外の弁当を食べないだけだろう。」 「そんなことないよ。他にも食べたけど西武池袋のお弁当が一番美味しい。」 お弁当が美味しいのは本当のことだ。西武秩父は西武池袋のことが大好きで、大好きで、彼女の手で作られたもの は他の人の料理となんてとても比べられないのだ。 食べ終わった西武池袋はテーブルに座ったままぼんやりとしていた。次の電車が来るまでに時間があるからのんびり しているのであって、一緒にいたいからとか何かを期待しているわけではないと西武秩父はわかっている。それでも、 西武池袋よりまだまだ若い男は、手に入れたばかりの女を目の前にして何もせずにはいられない。 高ぶる下半身を押さえきれずに後ろから抱きしめれば、西武池袋は体を強張らせたものの抵抗しなかった。コートの ボタンをひとつ外しても抵抗の声をあげない。 「私たちは家族なんだ。」 小さな声で小さな一言をもらした西武池袋の言いたいことは西武秩父に伝わった。関係拒絶しない気持ちも、それで いて自力では離れられない気持ちも。 「『姉さん』がいてくれるなら、俺は地獄だって平気だよ。」 コートが脱がされワイシャツのボタンが外され鎖骨があらわになったころ、西武池袋は西武秩父の首に腕を回した。 すがりつくように、強くぎゅっと抱きしめた。 (2011.12.25) |