(2010.10.12)武蔵野×西武池袋
(2010.11.24)陽子→道子
(2010.11.29)有楽町×西武池袋
(2011.1.3)東上←西武池袋
(2011.1.23)りんかい×埼京





































































(武蔵野×西武池袋)
 西武池袋は電波であることをのぞけばほぼ完璧だった。端正な顔立ちも、すらりとしてバランスのいい体つきも、声の
トーンも。それだけ見た目に恵まれた上に、台風の中でも大雪の中でも走る仕事ぶり。
 (あーあー、敵うとこなんてないじゃん。)
 武蔵野は見晴らしのいい陸橋から自分の線路を眺める。まっすぐに伸びた線路は自分のものじゃないくらいすっきり
としていた。航空地図で見れば緩やかな半円を描く路線も、近くで見れば見える限りまっすぐに続いている。
 「おい、武蔵野。なにたそがれてるんだ、気持ち悪い。」
 しんと通る声が陸橋に響いて武蔵野が振り替えるとそこには西武池袋がいて、必要以上にあわててしまう。
 「・・・なんでここにいんの!」
 「西武バスとの連携をチェックしていてだな、ここも貴様の駅とはいえ所沢市内だ。私が目を通さんというわけにはい
かんだろう。」
 理屈はよくわからなかったが、いつもの西武理論だということはわかって、深く深くため息をつく。こんなところでこんな
 奴相手にたそがれていた自分が恥ずかしくて、武蔵野は橋にもたれかかり、自分の線路に向かって「あーーー」と力
のない声を出した。
 「?どうした貴様、いつもらしくないな。」
 「そう?」
 「いつもならため息をつく間があればサボるだろう。さっき後ろからみていても、まるでテスト結果にうなだれる高校生
みたいだったぞ。背中が年食っているが。」
 西武池袋が可愛くない口を叩く間も髪の毛がさらさらとゆれて夕暮れの日差しをキラキラと反射している、そんなきざ
ったらしい光景すら西武池袋にはよく似合った。
 「俺だってたまにはため息くらいつくのよー?」
 「こんなこというのは癪だけどさー、お前美人だしスタイルいいし人並み以上に仕事した上で家事まできっちりやって
て、電波なのが珠に傷だけど、俺よりもっといい男いるんじゃん?」
 「なにを今さらいう。」
 西武池袋はアスファルトで舗装された道路の上に転がる石を拾って武蔵野の線路に投げ込んだ。
 「ちょー!なにすんのー!:
 「小指の先ほどの石だぞ?これで運行に支障がでるのならば路線の上に陸橋など作るでないわ。」
 西武池袋は無言で線路を眺める。武蔵野もそれに合わせて、沢山のいいたいことを飲みこんだ。
 「・・・・・・私はベビースモーカーだし浴びるように酒を飲んで潰れるし博打も好きだし、他人とコミュニケーションとるの
は苦手だ。だからこそ、これでもいいっていう貴様の懐の深さを買ってるんだぞ?」
 西武池袋は茶化すでも見下すでもなく、武蔵野の目をみてまっすぐ大真面目にいった。なんのことかわからなかった
武蔵野は、眠たげといわれる目を数度まばたきさせる。
 「それ、どういうこと?」
 武蔵野の間抜けな質問に、真面目な顔をしていた西武池袋はとたんにいつも通りの小馬鹿にした顔になった。
 「好き、ってことだ。」
 「て、繋いでいい?」
 「聞く前に繋げ。」
 握った西武池袋の手はひんやりと冷たく、骨と皮といくらかの筋肉とわずかな脂肪で構成されている。脈打つその手
を握ったまま、武蔵野は走り出した。













































(陽子→道子)
 生まれたての頃、特急のトップはつばめだった。
 たくさんの特急に傅かれ、不遜な微笑みを浮かべた彼は唯我独尊の振る舞いを許され、立ちふさがるものを吹き飛
ばしながら、国鉄第一の地位でもって他人を見下し憐憫を持って接していた。
 黒い制服に黒いメガネ黒い髪、真っ黒な彼女は暗いというより高級感を漂わせていて、近寄りがたく、軍事在来線が
近寄る必要もなかったからいつも遠くから眺めていた。
 ああいう存在はこの世に二つとないと思っていた。


  「不可侵の神様」


 『人殺すためのお役目から解放された。』
 自分を慰めるためにいいようにいってはみても、平和になったら赤字路線は不要とつきつけられただけで、結局あの
緊迫の不幸な時代にしか求められなかったのかと思うと篠山(女)悲しくなった。自分が運んだ沢山の資材によって沢
山の人が殺されたのに、自分が運んだ沢山の資材は沢山の人を守ることはできなかった。
自分のような軍事路線が求められない時代を民衆は求めている。では、民衆と時代の境目はなにか。
(私は時代に見捨てられたのそれとも民衆に見捨てられたのそれとも国鉄に見捨てられたの?)
 無職になってやることもなく、相方の篠山(男)はすっかり丸くなってしまってこのままゆっくり死んでいってもいいなんて
じいさんみたいなことをいうから、篠山(女)はぶつけるあてのない不安と不満をもてあましていた。
 走りたいのに、走れない。
 復興していく国を眺めながら、毎日が歯がゆかった。戦争の硝煙の匂いの中に置いていかれたくなかった。人が言
う、「平和で満たされた時代」を幸せに満喫したい! いつかお声がかかることを、他路線が呼ばれるために苛立ちな
がら待った。
 希望は、立地条件が良くて乗客が見込めて、ある程度治安のいい地域を走る路線。
 でも、実際にはどんな僻地であっても呼ばれれば行くつもりでいた。たとえ日に数人しかお客さんがいなくても、狸を乗
せても、呼吸をするように走りたかった。
 篠山(男)も篠山(女)ももう一度走ることを本当に諦めかけていたとき、会社から通知が届いた。

『山陽新幹線に任命する。』

 「さんようしんかんせん。」
 篠山(女)は声に出して読んでみた。しんかんせん、新幹線。東京と大阪をつなぐ最速の路線。憧れの0系。
 「新大阪から先に延長するから、そこを担当しろってことか・・・」
 辞令を両手でしっかりと握り締めたまま、篠山(男)は放心している。
 「廃線になった軍事路線にゃもったいない出世じゃな。」
 「そうねー・・・私もここまで望んでいたわけじゃないんだけど。」
 壊れたように甲高い笑い声を篠山(女)が上げた。
 「あはは!ちょっと篠山!笑いが止まんないわよ!」
 「俺はちょっと、肩の荷感じるがのう・・・。」
 対照的な二人は、それでもお互い涙ぐんだ顔を見合って抱き合った。
 「生きてて良かったね。」
 篠山(女)の呟きは二人にしみこんだ。ああやっと、これで平和が幸せという意味がわかるのだと思った。




 既に新幹線として走っている先輩がいるので、座学のあとは先輩について実地研修を行うようにと上から言われ、篠
山線改め山陽と陽子は新大阪の待ち合わせ場所で待ちぼうけを食っていた。
 「・・・遅くないか?」
 「まー、相手は現役だから私たちと違って忙しいんでしょ。」
 「・・・2時間だぞ、2時間!!」
 陽子の机の前にはお菓子とジュースが並んでいる。山陽もそこからジュースとチョコレートを頂戴したのだが、先ほど
から陽子の前にはある程度の時間がたつと飲み物が足され、何か欲しいものはないかときかれる。顔立ちに加えて愛
想いうのは大事なものなんだな中身がなんであっても、と山陽は学習した。
 コンコン、と控え室のドアが叩かれた。
 「お、やっときたのか。ここはガツンといわねえと!」
 「やめときなさいよ、これから色々教えて頂くんだから。」
 ドアが開くと、そこには自分達と同じ制服を着た小柄で華奢な男女が並んでいた。
 「待たせたな。」
 男の方が口を開く。声が重厚、というほどではないのだが、ゆったりとした話し方に威圧感があった。
 「自己紹介なさい。」
 しゃんしゃんと鈴を鳴らすように冷たく静かに話す女のほうは、若干イライラしたように山陽と陽子に第一声を浴びせ
た。
 「あー・・・俺が山陽で、こっちが陽子です。篠山線改め山陽新幹線となりました。よろしくお願いいたします。」
 「そう。」
 それ以上は特に興味がないといった雰囲気で、一瞥をくれただけの女は好きな席に好きに座った。
 「私が東海道だ。そして、こっちは道子だ。」
 そこそこ可愛い顔立ちなのに、にこりともしない道子はちらりと山陽を見た。その冷たい視線に目を背けた山陽と対
照的に、陽子はぴったりと道子を注視して目を離さなかった。
 (つばめが二羽増えたわね。)
 東海道新幹線のふたりが戦前「はと」として走っていたことは、面識のない陽子も知っていた。だが、話しに聞く彼らは
つばめの後ろで小さくなって虐待に耐えている云々だったので、今日の遅刻とて業務上やむをえないものだと思ってい
た。いや、業務上や無をえない場合であっても、謝罪するタイプだと思っていた。
 自信に満ちて、傲岸不遜。ただ一人で先陣を切る自負がもたらす浅ましいプライド。道子を構成する単純な要素が陽
子をひきつけた。
 道子は「つばめになって」しまった。
 つばめの二人は「つばめ」だから思うがままに振舞えるのだと思っていたけれど、国鉄の首位に立つものは同様の行
動を許されるらしい。それは小柄な道子には不釣合いに豪華な持ち物であったが、少女が重たい王冠に華奢な首を揺
らす可愛らしい仕草にも見えた。
 (神様だわ。)
 日本の3大都市を最速で繋ぐ最高の立地を持って最高益をたたき出す路線が持つ傲慢を、道子は無邪気に振りまい
ている。きれいなバラにはとげがあるように、あどけない道子には権力というとげがとりまとっていた。
 (この人にお仕えしよう。彼女が望むのならばどこまでも付いていくわ。)
 陽子はずっと微笑をたたえたまま表情を崩さない。誰も陽子の心の内はわからない。
 誰にも触れさせぬように、自分ですらも触れぬように道子を守ろうと決めた陽子は、白い手袋を常時着用するようにし
た。
 孤高で清潔な彼女を、自分の手で汚さぬように。





























































(有楽町×西武池袋)

 去年の夏、有楽町に誘われて西武池袋は都内の夏祭りにでかけた。最寄の路線に会ったら嫌だからと渋った西武
池袋に有楽町は「大丈夫、イベントのときは手一杯で構内から出られないから。」と何度も繰り返し「もし誰かきててもも
のすごい人出だからかえって会わないよ。」と拝み倒すようにして誘い出した。
 何千発も打ち上げられる花火、むせかえるような人の体温と夏の気温がまじりあって、夏祭り特有のねっとりとした空
気とハイテンションを作り出していた。
 「ねぇ、西武池袋。金魚すくいしない?」
 「金魚すくい?私は飼えないぞ。」
 この時点で西武池袋は既に屋台をつまみにビールを2本飲んで軽くいい気分だったから、からめられた有楽町の手
をやんわりと握り返し恋人のように歩いている最中だったので、その口調はあくまで至極優しいものであった。
 「俺が飼うよ。」
 「なら、やってみればいい。」
 ポイを受け取った有楽町は器用に小赤の1匹を掬い取り、得意そうに振り向いた。
 「貴様、なかなかうまいな。」
 ほめる西武池袋に気をよくした有楽町はもう一匹小赤を掬い取って見せた。
 「有楽町、今度は出目金がいい。」
 しゃがみこんで有楽町の手元を眺めていた西武池袋は注文をつけた。有楽町は西武池袋が指差した黒い出目金を
救おうとした、それはするりとポイをくぐりぬけて水槽にもどり、返す刀でポイを破いていった。
 「あーあ。」
 西武池袋が残念そうなため息をつくが、有楽町は頼りないビニール袋に金魚を入れてもらいながら上機嫌だった。
 「名前、なんてつける?」
 「貴様のペットなのだから貴様がつけろ。」
 「二匹いるんだもの、西武池袋も一匹に名前つけてあげてよ。」
 目の高さに金魚の入ったビニール袋を持ち上げてひらひらと泳ぐ様を眺めながら、西武池袋は有楽町の意図を読み
取って下らなさに笑いそうになってしまった。
 「じゃあ、チビ。小さいから。」
 「えー、そんな名前でいいの?」
 「ふん、貴様はなんとつけるのだ?」
 「西武池袋の方がチビでしょ、なら・・・アカかな、赤いから。」
 「単純すぎるだろう。」
 「いいじゃん?でさ、西武池袋。明日一緒に金魚鉢買いにいこう?」
 「なぜ私まで・・・」
 「名づけ親なんだから。」
 「別に、明日は休みだから行ってやれんこともない。」
 「ありがとう。じゃあ、今晩はうちに泊まっていきなよ。」
 「え?」
 「だって、明日も約束があるならずっと一緒にいた方がいいじゃない?」
 金魚はそういうことだったか、と単純な細工に西武池袋はようやく気付いたが素直に乗ってやることにした。
 じっとりと暑いその夜、洗面器の中に金魚を泳がせてから、冷房のきいた有楽町の部屋で二人は初めて繋がった。 
 金魚がくるくると洗面器の中を泳ぐように、二人の甘い時間もいつまでもくるくると回っていくのだと、甘美な想像の中
を二人は泳いでいた。
 


 季節が冬になって年が明けて、今年一番の冷え込みになった朝、金魚は死んでしまった。
そしてその前日の夜、有楽町と西武池袋は些細なことから口論になり、お互い折れることが出来ず別れる段取りとなっ
たので、玄関の下駄箱のうえに置かれた金魚鉢に浮かぶ真っ赤な遺体はもう他人になった。もう西武池袋はその金魚
を土に埋めることはできない。
ただ、寒くなって死んでしまった可哀そうな金魚を自分と重ねることだけは、あまりに軽率でありきたりな気がして目をそ
むけた。
 ふたりで一緒にみた、ひらひらとした尻尾は水に溶けてみすぼらしくなっていた。
 ああ、二人でこった名前をつけなくてよかった、ともう二度と来ない部屋の玄関のドアを閉めながら西武池袋は思っ
た。









































 東上は副都心と打ち合わせ、西武池袋は有楽町と打ち合わせ。
 たまたま近い時間にメトロの社屋で打ち合わせの予定を入れたのはまずいかなぁ、と思ったけれどまさか顔を合わせ
ることもあるまいと思ってそのまま当日を迎えたらなんという奇遇。帰り際が同じになってしまい向かい合った二人は、
互いにアウェーだというのに容赦がなかった。
 「バカ西武!エセ宗教家が電車を走らせてんじゃねえよ!」
 「貧乏路線が口汚いことだ。便所掃除のモップを口に入れて黙らせてやろうか!」
 いつものことだ、と思っていたが、今回は東上の虫の居所が悪かったらしく、近くに置いてあったバケツの水を盛大に
西武池袋にぶっかけた。(なんでそんなところにバケツとかおきっぱにするかなぁ!?と有楽町が後悔したのは落ち着
いてからだった。)
 「ちょー!?東上なにやっちゃってんの!?」
 「うるせえ有楽町!なぐらせろ!」
 「副都心!東上を押さえて!」
 「えー、そういうのは先輩の仕事でしょ?」
 「俺は西武池袋のほう連れて行くから!副都心、業務命令だ!」
 「はいはーい。」
 タッパはあるが筋力のなさそうな副都心にいとも容易く東上はひっぱられていった。よっぽど怒りが西武池袋に向いて
いるらしく、副都心の引っ張る力が思いのほか抵抗されなかったようだった。
 有楽町は頭から水をかけられて、それでも東上を罵る西武池袋になだめすかすように笑いかけた。
 「風邪引くから、とりあえず髪乾かしに行こう?その格好だと西武の事務所に戻れないだろうし・・・」
 西武池袋の髪はぐっしょりと濡れている。幸いコートは防水加工がされているようで大きく濡れてはいなかったが、放
っておけばしみこむのは必死だから早めに拭くにこしたことはない。
 「テメーのきたねえケツで秩鉄をどうやって食ったんだよ!!この淫売!」
 遠くから東上の罵声が聞こえる。いくらメトロの事務所内とはいえ、なんてことを叫ぶのだろうか。有楽町はいくらか東
上に同情的なのだが、このときばかりはお小言の一つもいいたくなった。百年近く生きて、どうして子供のようにわめき
たてられるのか。
 とりあえず使用していない会議室に西武池袋を案内し、すぐに給湯室からタオルのようなものを持ってきた。
 「ごめんね、西武池袋。タオルの置き場所がわからなくて・・・雑巾だけど、新品だから!」
 有楽町が差し出した新品の雑巾を受け取った西武池袋は、握ったまま動かない。ポケットからハンカチを取り出した
有楽町は控えめに、こっちの方がいい?と聞いたが、気にしないでくれ、と思いのほか冷静な声が返ってきた。
 濡れた前髪はほどよく固まって西武池袋の顔にへばりついている。そのせいで、普段は隠されている片目がよく見え
た。長いまつげに囲まれた切れ長の目二つにじっとみられると、それだけで恋に落ちてしまいそうなほどの力があっ
た。
 「お茶、飲むよね。」
 「不要だ。すぐに帰る。」
 有楽町は西武池袋をすぐに帰したくなくなった。普段は一瞬をともにするのだって面倒な電波なのに。キューピッドの
矢に射られて心を支配されたかのように、有楽町は西武池袋相手にときめいていた。
 「いいんだ。すぐに持ってきてもらうから。」
 会議室にある内線電話で総務に電話し、コーヒーを二つ、それからタオルも一つ持ってきてと頼む。最初からこうすれ
ばよかった、と有楽町は反省した。
 「もう頼んじゃったから飲んでいって。」
 西武池袋は他社であっても、路線でない人間にまで酷に当たらない。ぽたぽたと水が落ちるとソファを拭きながら、コ
ーヒーを大人しく待っている。
 総務の女性がコーヒー二つと、タオルを大小一つずつ持ってきたので両方受け取った。すぐに立ち去る彼女の足音
が遠くなったのを確認してから、有楽町は西武池袋の髪を拭くべく立ち上がって向かいに座る西武池袋の後ろに立っ
た。
 「・・・東上もさぁ、昔のことなんだから水に流せばいいのに。」
 びっくりすることに、西武池袋は有楽町に身を任せて髪を拭かせた。受け取った小さい方のタオルでコートを拭く。
 「貴様は浅はかだな。」
 西武池袋の肩を持った言い方をしたのにバカにされ、有楽町も少し気に障ったが髪を触らせてくれる無防備な西武
池袋の前に反論は控えた。
 「秩父鉄道が東上線と乗り入れを解消し、西武池袋線と乗り入れを開始した。貴様らも含め、世間にとってはたった
それだけのことだ。西武にとっても、企業価値の低い路線が直通を打ち切られ、弊社の営業努力が成果を挙げたって
だけだろう。東武本社にとっても、決まった以上致し方ないことだ。
 でも、東上にとっては違う。どのような経緯で直通先が変更になったかなんて関係ない。「西武と秩父鉄道の直通開
始」はすなわち私が色を使って騙した、ってことだ。」
 有楽町は絶句した。東上の都合のいい理屈作りと西武池袋の不気味なものわかりのよさに。そして、秩父鉄道を決
意させたのは本当に西武池袋の色仕掛けだったんじゃないだろうかと、有楽町に錯覚させる計算された無防備さ。
 「私はただ、強者らしく振舞うだけだ。」
 静かな声には、東上への恨みもなんにも感じられない。淡々と、東上を受けているのだと感じた。
 「・・・西武池袋はさぁ、東上が好きなの?」
 有楽町はいま自分を支配している高揚感が一時的なものだと知っている。滅多にないほどの大喧嘩、大人しい西武
池袋。ノラ猫が気まぐれでなでさせてくれたときの喜びと同じだ。明日になれば餌をもっていったところで引っかく奴らな
のだ。
 「ふん。視界に入れたくないほど嫌いだが、否定しがたいことに古馴染みだ。」
 二人には、理解しがたい面倒くさい縁がある。周囲に迷惑をかけて本人達を疲れさせるどうしようもないものだが、有
楽町はそれをうらやましいと確かに思った。












































ハッピーエンド(りんかい×埼京)
 
 まだ夕方だというのに埼京がこそこそと帰り支度をしているのに京浜東北は気付いた。時計を見れば今日は早番だ
った埼京の定時は少し過ぎていて、なるほどと納得する。
 「今日はデート?」
 京浜東北は別にからかうつもりがあったわけではない。むしろ親切心からデートならば面倒な宇都宮が戻る前に帰し
てやろうと思ったのだ。
 京浜東北に問われ、わずかばかりに葛藤を見せた埼京はいともたやすく白状する。
 「今日は映画見に行くんだー。」
 ひけらかすかのように、埼京は幸せを吐露した。それに目くじらをたてるほど幼くない京浜東北は傲慢で無自覚な自
慢話を受け流す。
 「へぇ、何を見るの?」
 「えっとねぇ、」
 埼京があげたのは、たくさん広告を打っているいかにもハッピーエンドで終わるはずのありきたりな話題の映画だっ
た。京浜東北はりんかいをよく知るわけではないがどう考えても彼の趣味ではなさそうなので、埼京のために選んだの
だろうと想像できた。りんかいがそんな男と思えないだけに妙な感覚が走って、京浜東北を厭世的にさせる。
 「楽しんできなね。」
 「うん!りんかいに誘ってもらったから僕嬉しくってー!」
 「後でなにかあったらやっといてあげるし、どうしようもないことがあったら連絡するよ。りんかいによろしく。」
 京浜東北は恋心がいかに脆弱であるかを長い人生の経験からよく知っている。だから、「どうせその内別れるさ。」と
無感情に思った。埼京の不幸を願ったのではない。ただ、彼らからすればそう遠くない未来に回避し難い事態に見舞
われると思い浮かべただけだ。明日、埼京線が廃線になるはずがないように。
 対極的に、埼京は別離の未来をうたた寝のまどろみにさえ見なかった。埼京の読んだ本や今まで見た映画の中で、
恋人のいる人は幸せになるのが自然であり当然の義務であった。王子様もお姫様も苦難や不運を乗り越えて結ばれ
るのだから、きっと自分もそうであると疑わなかった。
 埼京は痴漢電車とまで呼ばれて不運な役回りに違いはないが、果たして不幸なプリンセスの役に相応しいかどうか。
中小私鉄が聞いたら鼻で笑うだろうが、埼京はりんかいが自分を「不幸」から救いだしてくれる王子様だと信じていた。
 


 予定していた映画には遅れてしまったが、埼京はりんかいと一瞬に見られれば何でもいいので気にならなかった。
でも、その映画は埼京が今まで見たことのある話と違って、感動しないから涙もでないしズドーンと盛り上がる見せ場も
ないしつまらなかった。
 ラブロマンスだって嫌いではない埼京だけど、もっと運命的な出会いでヒロインが現状の苦難から劇的に救われなけ
れば満足感が足りないと思う。
 埼京が見たのは、男女がごくありきたりな出会いをし、ごくありきたりに付き合って、喧嘩をして、女が去っていく話だ
った。喧嘩が長い上に最後よりをもどすわけでもなく、埼京はご不満だ。でもりんかいは満足そうだし、何よりりんかい
のセンスに口を出せない程度に映画の知識が浅いことを自覚している。埼京は下がったテンションを隠して並んで歩い
た。
 (甘いアイスクリームを食べたい。)
 けれど、今の埼京はそんなことを言い出せる気分じゃない。今まではどんなわがままだってりんかいに話してきた。聞
き流されることも多かったけどそんなのは気にならなかった。
 なのに、今は違う。埼京は初めてりんかいを疑い、様子を伺っている。自分達がナンバーワンである変わらない事実
に基づいた、選民者の目で。大嫌いな宇都宮が自覚しながらもちいる見下した目線を埼京はりんかいに投げ掛ける。
いつものように笑ったまま。
 そのとき埼京はりんかいと歩いていくはずの未来が二つにわかれるさまをみた。ただ一人優しくしてくれた人とお互い
を理解できずに直通を打ち切り、よくわからぬまま別れていってしまう未来。
 埼京はりんかいの手をぎゅっと握る。りんかいは何も考えていないのかもしれないし、埼京の空想の数十年先を見て
いるのかもしれない。つないだ手のひらから思考が伝わってしまうことを恐れながら、埼京はその手を離さないようにす
る。

 別れがない未来なんてないことをわかった子供は大人になってしまった。